堕天使の煉獄
2023-01
04
04:20:27
新しい刺激が無いと停滞するよね
ネットニュースとか巡回してたらば。
いかれた宗教で打線組んだみたいなのがあって。
その中で「建神論」というのが出てきて。
建神論
うん?
「共産主義的な神」ってワードがなんか引っかかるけど、後はわりとまともじゃね?
とかおもったのだけども。
コミュニズムとコスミズム:ボグダーノフと建神主義の場合
ttps://src-h.slav.hokudai.ac.jp/sympo/Proceed97/sato.html
要約すると、人間も、宇宙もいまだ不完全で、意志思った人間が進化成長して宇宙を完全なものに作り変え、理性で宇宙を支配する。
物理法則すらも支配するので、人は死も克服する……うんぬんかんぬん。
うん、やっぱやべぇw
つまるところ、自分たちが神になるっていう思想なのね。
共産主義者が好きそうやね……。
自分が正義。全体が幸せになればよいので、批判するやつはぶっ殺す的な。
んでも、興味を引いたのが、この健神論。
私個人は、機械論的唯物論者なのですが。
機械的宇宙観にたいする反発で生まれた思想という部分がちょっとおもしろいなとおもたり。
機械的宇宙観でよく批判されるのは、決定論、運命論に繋がり、思考や倫理、善悪もすべてが無意味になってしまう。というものがある。
自由意志なんてものも存在しなくなるじゃないかと。
そしてこの健神論は、逆に自由意志ですべてを理性的に支配して、最後には宇宙全部を理性で支配すると、たしかに真逆の方向ですね。
さて、思想界では、フッサールの現象学からニーチェ、サルトル、ハイデッカーなどの実存主義が隆盛したあと、そのあとに生まれたのは構造主義。そしてその次は……。
実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義
ポストのポストと訳のわからんことになってるw
そいや笠井潔の矢吹駆シリーズの存在を久しぶりに思い出したな。
現象学的アプローチで殺人事件の謎を解明する探偵アプローチというのが、なんだか解らんが知的な気分になれる(ぉ って感じで読んでたけど。
wikiみても数年前と状況変わらずな感じっぽいですね。雑誌連載で終わっても書籍化されてないのが多い。
んでもまあ、あとの方の作品は、御手洗潔シリーズと同じようにだんだん主役が登場しなくなってる傾向あるので、そこまで読みたいって感じでもなくなってきてたりするんですけどね。
閑話休題。
日記のタイトルにもなってる、新しい考えがないと停滞する。
思想界もまさに今そんな感じなのかなぁ。
構造主義を乗り越えようとするのもの、新しい哲学を生み出せないため、ポストのポストなんていう、既存のものを批判するだけで終わってる感じで停滞してる感じなのね今。
構造主義とかも名前ぐらいは見たことあるけど、知らね。って感じで今回はじめて調べてみたりしたのだけども。すでにポストのポストがあるような思想に意味あるんかなって気になりながらw
なにげにまだ若かりし頃? 哲学書とかいっぱい読み漁ったけど、プラトンとかデカルトから始まって、カント、キルケゴール……ハイデッカーの途中あたりで力尽きた。
そんで新しいのも読んでみようってことで、コリン・ウィルソンなんかも読んだなぁ。
あとはユング、フロイト、それからゼノギアスやってからラカンなんかも読んだっけか。
結局それで得たのは、キリスト教圏に根強い、人間中心主義にうんざりし、古い時代から読んでいくにつて、そこから逃れようとする動きがみてとれて。
心身二元論も魂とか根源存在だのといったところがどうにも神ありきの一神教的世界観なんだよなぁ。
そういった観念論からアンチテーゼの実存論、実存主義へって流れなんだけど。
もともと無宗教かつアミニズムな日本に生まれると、最初からあるがままをそのまま事実として受け入れる感じになってるんだよなぁ。唯物論、唯心論どちらも自然に矛盾なく受け入れてる曖昧な土壌があるかんじで。
正直、「利己的な遺伝子」のドーキンスが、地動説説いて迫害されたガリレオ(なんか結構フィクションの作り話らしいって話もあるけど)みたいにならないように、過剰なまでに予防線はってるのとか、正直理解出来なかったりするんだけども。
それだけ海外ではキリスト教的世界観、観念が定着してるってことなんだろうけど。
近年では、情報化が進んだことでそういったものからの脱却の流れが出てきてるなんて話もあるけど。
ともかく、正直、過去の哲学書読んでも、どういう思想のながれが出来てきたかっていう歴史書見てるような感じで、あんましこう、すげぇ、そんな考え方あるんだ! みたいな感動はほとんどなかったんですよね。
キリスト教とか宗教って害悪だよねやっぱ。っていう考えが補強されるばかりでw
と、そのへんで止まってたので、建神論てのは初めて知ったのですが。
共産主義的な思想はあれだけど、実存主義、機械論を否定するにあたって、構造主義に近い感じの思想になっていった感じっぽいんですけど。
人の意志でどうにかする(宇宙全部さえも)ってところがなんか確かに宗教っぽいですねw
そして、人間の意志、理性が鍵になってる所も、やっぱ人間中心主義的で、うーん………て感じになるですね。
しかし、構造主義てなんかアレですね。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」の中であった、遺伝子は自己の生存を目的とするために利己的に行動するはずなのに、自分の命を投げ出して他者を助けるといった、利他的行動がなぜ存在するのか?
という問に対して、統計的にそのような傾向をもつ個体がいる集団は、そうでない集団よりも生き残る可能性が大きい。
という回答がなされているのだけども。
これって結構、構造主義的だよなぁとおもったり。
そして構造主義て、結局なんかただの言葉遊びに終始してる主義だなあという印象ぽ。
まあ哲学全般そうなんですけどね(ぉ
ただ、今までの古めの哲学(19世紀以前)は、結局、形而上のものに名前をつけて分類化したり、それを「神」と一括りにするのは逃げだとして、理性的に説明しようとか、脱宗教、脱神の歴史な感じだったのだけども。
構造主義ってただの行動様式とかにタグをつけるだけで、だから何なん? ときわめて非生産的ぽ。
アウトサイダーであったり、利他的行動であったり、そういった、構造から生まれる法則性みたいなのを抜き出して、それがどういうものなのかてのに名前をつけていくだけって感じで。
なんか意味あるのコレ?
……まあ生産的で有意な哲学ってそもそも未来過去永劫に無いような気もするな(ぉ
そいやソーカル事件
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
なんてのもあったね。
言葉遊びとなんだか小難しい理論並べてるけど、実際は誰も意味わかってないんじゃないの? っていうw
でも、構造というか本質を見極めるって感じ、バイロンとか、はてはマルキ・ド・サドのような、因習や習慣から生まれた道徳観念を一旦取り払って、本質的に物事を見つめる。
というのと同じことだよなーと。
ちょっと上に書いた自分的に「すげぇ、そんな考え方あるんだ!」て感銘を受けた数少ない例がマルキ・ド・サドだったりするもので、近年マルキ・ド・サドの再評価が~てのもこういう流れの中にあったりするんだろうか?? なんて思ったりして。
でも、ここ最近はなんかそこから新しい、知的に刺激を受けるようなものってあんまりないんですよね。
なのでめっきり哲学的な事って最近まったく遠ざかってた感じだったりで。
そこで今回、健神論ってのから、構造主義、ポスト構造主義とか、久しぶりに新しいインプットあったかなと。
そこで得た新しい知見といえば……。
やっぱ人間中心主義的な思想の持ち主からすると、機械論的なのは受け入れがたいものなんだなぁと。
決定論とか運命論て、自由意志すらもすべて物質の作用の結果なのだから、意思決定自体もすべて無意味になって、何もかもがむなしくなる。
自分が存在してる意味すらも消失する。
みたいな悲観的になるから嫌いだっていう感じらしいですね。
そこで自由意志、理性で世界を変えていく……。
自分てものの存在理由が欲しいって感じなのかなぁ。
個人的には要らんやろそんなもん。糞袋に何期待してんだって感じですが(ぉ
そこから宇宙の支配まで飛躍する様はちょっとおもしろいw
個人的には、量子力学の不確定性によって、人の脳の電気信号とか微細な世界の出来事てその影響受けそうじゃないですか。
単なる物質の運動法則によって世界は概ね終わりまで決定しているけど、不確定性から生じたズレを物理現象として波及させるための器官が脳であり、決定論、運命論は否定される。
なんてSF的な解釈すると面白いよなーとか思ってたりする。
まあ決定されてようがそうでなかろうが、傍観者として世界を認識するだけの「自分」には何の関係もないんですけどね。
全てはあるがまま、色即是空空即是色……。
と結局最後は仏教的な無常観に終わるw
哲学は頭の運動にはちょうどいいですねと。
で、本題は。
pgとかでも、なんか新しい知見とか方法論とか設計的に新しい物の見方とか考え方がふと入り込んでくる瞬間が来るとモチベーション上がるよねっていう。
逆に無いときは、停滞してモチベーションも上がらないよねって話。
絵にしても、刺激を受けるようなインプット無いと、やっぱ停滞しちゃうよなぁ。
参考用にマークした画像やらを見ながらそんなん思ったりしてる今日このごろ。
新しい刺激って必要だねやっぱ。
この記事を書こうと思ったのがホントの本題だったはずだったのに、どうでもいい無駄な駄文長文書いたせいで忘れてたw
漢のハンバーグ
小難しいことグジグジ考えててもしょうがないよね。
こうどーんと漢らしくやっちゃえばいいんだよ。
って気持ちになれるので、なんか定期的に見たくなる動画w
なにげに実食シーンのBGMが深夜のバカ力なのも親近感~w
こういうのでいいんだよ。
普通にめっちゃうまそうだしw
いかれた宗教で打線組んだみたいなのがあって。
その中で「建神論」というのが出てきて。
建神論
宗教は搾取の目的で使用されていたが、人間社会にとって重要な感情、道徳的価値、欲望、その他の人生の側面を育んだと主張し、既存の宗教を否定すると共に人類社会の秩序維持のための宗教の必要性は認め、搾取のない科学的で共産主義的な神を作ることを目的とする。
1910年にレーニンに断罪され消滅。
うん?
「共産主義的な神」ってワードがなんか引っかかるけど、後はわりとまともじゃね?
とかおもったのだけども。
コミュニズムとコスミズム:ボグダーノフと建神主義の場合
ttps://src-h.slav.hokudai.ac.jp/sympo/Proceed97/sato.html
要約すると、人間も、宇宙もいまだ不完全で、意志思った人間が進化成長して宇宙を完全なものに作り変え、理性で宇宙を支配する。
物理法則すらも支配するので、人は死も克服する……うんぬんかんぬん。
うん、やっぱやべぇw
つまるところ、自分たちが神になるっていう思想なのね。
共産主義者が好きそうやね……。
自分が正義。全体が幸せになればよいので、批判するやつはぶっ殺す的な。
んでも、興味を引いたのが、この健神論。
ボグダーノフや建神主義者たちの西欧の哲学にたいする態度においてまず注目すべきことは、19世紀の半ばまでの西欧の哲学や科学を批判していることである。とりわけ攻撃の対象となったのは唯物論と決定論である。
かれらは、唯物論や決定論にしたがうならば、すべては変更することのできない必然となってしまうと考えた。
人間には外部に積極的にはたらきかける能 力などはなく、必然をただ受動的に受けいれるしかない。人間の存在や生、思考にはなんの意味もなく、すべては死とともに終わってしまうことになる。
私個人は、機械論的唯物論者なのですが。
機械的宇宙観にたいする反発で生まれた思想という部分がちょっとおもしろいなとおもたり。
機械的宇宙観でよく批判されるのは、決定論、運命論に繋がり、思考や倫理、善悪もすべてが無意味になってしまう。というものがある。
自由意志なんてものも存在しなくなるじゃないかと。
そしてこの健神論は、逆に自由意志ですべてを理性的に支配して、最後には宇宙全部を理性で支配すると、たしかに真逆の方向ですね。
このように建神主義者たちにとっての課題は、人間の生を無意味にし人間を抑圧する唯物論と決定論、物心二元論、機械的宇宙論、
そしてそれと分かちが たく結びついている近代的自我を克服することであった
さて、思想界では、フッサールの現象学からニーチェ、サルトル、ハイデッカーなどの実存主義が隆盛したあと、そのあとに生まれたのは構造主義。そしてその次は……。
実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義
ポストのポストと訳のわからんことになってるw
そいや笠井潔の矢吹駆シリーズの存在を久しぶりに思い出したな。
現象学的アプローチで殺人事件の謎を解明する探偵アプローチというのが、なんだか解らんが知的な気分になれる(ぉ って感じで読んでたけど。
wikiみても数年前と状況変わらずな感じっぽいですね。雑誌連載で終わっても書籍化されてないのが多い。
んでもまあ、あとの方の作品は、御手洗潔シリーズと同じようにだんだん主役が登場しなくなってる傾向あるので、そこまで読みたいって感じでもなくなってきてたりするんですけどね。
閑話休題。
日記のタイトルにもなってる、新しい考えがないと停滞する。
思想界もまさに今そんな感じなのかなぁ。
構造主義を乗り越えようとするのもの、新しい哲学を生み出せないため、ポストのポストなんていう、既存のものを批判するだけで終わってる感じで停滞してる感じなのね今。
構造主義とかも名前ぐらいは見たことあるけど、知らね。って感じで今回はじめて調べてみたりしたのだけども。すでにポストのポストがあるような思想に意味あるんかなって気になりながらw
なにげにまだ若かりし頃? 哲学書とかいっぱい読み漁ったけど、プラトンとかデカルトから始まって、カント、キルケゴール……ハイデッカーの途中あたりで力尽きた。
そんで新しいのも読んでみようってことで、コリン・ウィルソンなんかも読んだなぁ。
あとはユング、フロイト、それからゼノギアスやってからラカンなんかも読んだっけか。
結局それで得たのは、キリスト教圏に根強い、人間中心主義にうんざりし、古い時代から読んでいくにつて、そこから逃れようとする動きがみてとれて。
心身二元論も魂とか根源存在だのといったところがどうにも神ありきの一神教的世界観なんだよなぁ。
そういった観念論からアンチテーゼの実存論、実存主義へって流れなんだけど。
もともと無宗教かつアミニズムな日本に生まれると、最初からあるがままをそのまま事実として受け入れる感じになってるんだよなぁ。唯物論、唯心論どちらも自然に矛盾なく受け入れてる曖昧な土壌があるかんじで。
正直、「利己的な遺伝子」のドーキンスが、地動説説いて迫害されたガリレオ(なんか結構フィクションの作り話らしいって話もあるけど)みたいにならないように、過剰なまでに予防線はってるのとか、正直理解出来なかったりするんだけども。
それだけ海外ではキリスト教的世界観、観念が定着してるってことなんだろうけど。
近年では、情報化が進んだことでそういったものからの脱却の流れが出てきてるなんて話もあるけど。
ともかく、正直、過去の哲学書読んでも、どういう思想のながれが出来てきたかっていう歴史書見てるような感じで、あんましこう、すげぇ、そんな考え方あるんだ! みたいな感動はほとんどなかったんですよね。
キリスト教とか宗教って害悪だよねやっぱ。っていう考えが補強されるばかりでw
と、そのへんで止まってたので、建神論てのは初めて知ったのですが。
共産主義的な思想はあれだけど、実存主義、機械論を否定するにあたって、構造主義に近い感じの思想になっていった感じっぽいんですけど。
人の意志でどうにかする(宇宙全部さえも)ってところがなんか確かに宗教っぽいですねw
そして、人間の意志、理性が鍵になってる所も、やっぱ人間中心主義的で、うーん………て感じになるですね。
しかし、構造主義てなんかアレですね。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」の中であった、遺伝子は自己の生存を目的とするために利己的に行動するはずなのに、自分の命を投げ出して他者を助けるといった、利他的行動がなぜ存在するのか?
という問に対して、統計的にそのような傾向をもつ個体がいる集団は、そうでない集団よりも生き残る可能性が大きい。
という回答がなされているのだけども。
これって結構、構造主義的だよなぁとおもったり。
そして構造主義て、結局なんかただの言葉遊びに終始してる主義だなあという印象ぽ。
まあ哲学全般そうなんですけどね(ぉ
ただ、今までの古めの哲学(19世紀以前)は、結局、形而上のものに名前をつけて分類化したり、それを「神」と一括りにするのは逃げだとして、理性的に説明しようとか、脱宗教、脱神の歴史な感じだったのだけども。
構造主義ってただの行動様式とかにタグをつけるだけで、だから何なん? ときわめて非生産的ぽ。
アウトサイダーであったり、利他的行動であったり、そういった、構造から生まれる法則性みたいなのを抜き出して、それがどういうものなのかてのに名前をつけていくだけって感じで。
なんか意味あるのコレ?
……まあ生産的で有意な哲学ってそもそも未来過去永劫に無いような気もするな(ぉ
そいやソーカル事件
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
なんてのもあったね。
言葉遊びとなんだか小難しい理論並べてるけど、実際は誰も意味わかってないんじゃないの? っていうw
でも、構造というか本質を見極めるって感じ、バイロンとか、はてはマルキ・ド・サドのような、因習や習慣から生まれた道徳観念を一旦取り払って、本質的に物事を見つめる。
というのと同じことだよなーと。
ちょっと上に書いた自分的に「すげぇ、そんな考え方あるんだ!」て感銘を受けた数少ない例がマルキ・ド・サドだったりするもので、近年マルキ・ド・サドの再評価が~てのもこういう流れの中にあったりするんだろうか?? なんて思ったりして。
でも、ここ最近はなんかそこから新しい、知的に刺激を受けるようなものってあんまりないんですよね。
なのでめっきり哲学的な事って最近まったく遠ざかってた感じだったりで。
そこで今回、健神論ってのから、構造主義、ポスト構造主義とか、久しぶりに新しいインプットあったかなと。
そこで得た新しい知見といえば……。
やっぱ人間中心主義的な思想の持ち主からすると、機械論的なのは受け入れがたいものなんだなぁと。
決定論とか運命論て、自由意志すらもすべて物質の作用の結果なのだから、意思決定自体もすべて無意味になって、何もかもがむなしくなる。
自分が存在してる意味すらも消失する。
みたいな悲観的になるから嫌いだっていう感じらしいですね。
そこで自由意志、理性で世界を変えていく……。
自分てものの存在理由が欲しいって感じなのかなぁ。
個人的には要らんやろそんなもん。糞袋に何期待してんだって感じですが(ぉ
そこから宇宙の支配まで飛躍する様はちょっとおもしろいw
個人的には、量子力学の不確定性によって、人の脳の電気信号とか微細な世界の出来事てその影響受けそうじゃないですか。
単なる物質の運動法則によって世界は概ね終わりまで決定しているけど、不確定性から生じたズレを物理現象として波及させるための器官が脳であり、決定論、運命論は否定される。
なんてSF的な解釈すると面白いよなーとか思ってたりする。
まあ決定されてようがそうでなかろうが、傍観者として世界を認識するだけの「自分」には何の関係もないんですけどね。
全てはあるがまま、色即是空空即是色……。
と結局最後は仏教的な無常観に終わるw
哲学は頭の運動にはちょうどいいですねと。
で、本題は。
pgとかでも、なんか新しい知見とか方法論とか設計的に新しい物の見方とか考え方がふと入り込んでくる瞬間が来るとモチベーション上がるよねっていう。
逆に無いときは、停滞してモチベーションも上がらないよねって話。
絵にしても、刺激を受けるようなインプット無いと、やっぱ停滞しちゃうよなぁ。
参考用にマークした画像やらを見ながらそんなん思ったりしてる今日このごろ。
新しい刺激って必要だねやっぱ。
ホントの本題
2023-01-04(Wed) 04:32:39
この記事を書こうと思ったのがホントの本題だったはずだったのに、どうでもいい無駄な駄文長文書いたせいで忘れてたw
漢のハンバーグ
小難しいことグジグジ考えててもしょうがないよね。
こうどーんと漢らしくやっちゃえばいいんだよ。
って気持ちになれるので、なんか定期的に見たくなる動画w
なにげに実食シーンのBGMが深夜のバカ力なのも親近感~w
こういうのでいいんだよ。
普通にめっちゃうまそうだしw
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