堕天使の煉獄
2018-09
25
22:38:03
ほんと時間たつの速すぎ~
気がついたらもう9月も終わり??
まだ9月になったばかりだとおもってたのに……。
図書館の本ここ最近の履歴~
ジェフリー・ディーヴァー
「限界点」
リンカーン・ライムシリーズではなく、単独の作品。
ちょっと訳が微妙だった(海外物ではよくあるがっかりパターン)けど、それ以外は普通にジェフリー・ディーヴァーらしい内容で楽しめた。
ジェフ・ライマン
「エア(プラチナ・ファンタジイ)」
攻殻の電脳化みたいなのが世界に広まる時に、未開の村にすむおばさん視点で世界を見るって感じの内容で、折り返しの煽りとか読んで面白そうだと借りてみた物の……
田舎のおばちゃんの田舎主婦トークがしばらくだらだら続いて……後ろの方をパラ読みしてもその後もなんかそんな感じで、思ってたのと違う……って感じで読むのが苦痛になりかなり序盤で挫折。
世間での評価はどうなん? とちょっと気になったので書評てきなのぐぐってみたらば。どうやらSF作品ではあるものの、この作家さん自体が、間近な庶民的な視線でのSFみたいなのにこだわる作家さんらしい。そのへんで、ツボにはまる人ははまるらしいが、駄目な人にはダメって感じらしい。おいらはダメな方でした。
堂場瞬一
「黒い紙」
「執着(捜査一課・澤村慶司)」
「蛮政の秋」
「under the bridge」
「over the edge」
「夏の雷音 」
ここ最近、堂場瞬一さん昔の作品を思い出すかんじのが多くて良い感じぽ。
「夏の雷音」なんかは、初期の探偵物をおもいだすかんじで。
んでも大学教授と教え子の小生意気な女生徒てと、なにげに森博嗣のS&Mシリーズを思い出す。
「under the bridge」「over the edge」は「バビロンの秘文字」でも思ったけど、日本の作家さんでもこれだけ海外のハードボイルド系とか冒険小説っぽい雰囲気を出せる作家さんはあんまりいないんですよね。その辺で訳が微妙かもという地雷にびくびくしながらも海外のその系の作品を読みあさるのですが。日本の作家さんで、それも良い感じのを書いてくれる作家さんは貴重です。
ダン・ブラウン
「オリジン」
ラングドンシリーズの新作。前作のインフェルノは、前評判で今回はフリーメイソンがネタでかなりやばいこと書いちゃうぜ~? とか煽ってた割には、内容をさっぱり思い出せないほど中身がなくてって肩すかし喰った感じだったりで。なんか最近ダン・ブラウン、以前はマイケル・クライトンぽいなーという印象だったのですが、最近は「神々の指紋」のグラハム・ハンコックっぽくなってきたな……とかw
今回は生命の起源、我々はどこから来たのか。そして何処に行くのか。というのがテーマ。
わりとストーリーは淡々と進んで、ミステリー的要素の部分は謎と呼べる物もなく、非常にシンプルな構成だったので、ちょっぴり物足りないかんじぽ。
内容的には、シンギュラリティとかなんかもはや手垢の付いたちょっと古いSFネタと、グーグルの量子コンピュータ(現状ではまだ本当にそう呼べるかは微妙なかんじらしいけど)とかの最先端の技術ネタを列挙しただけというかんじで、真新しさがないなーとかおもたり。殆どのことは既に知ってる、聞いたことある話ばかりだったので。
んでもいろいろと間違えて覚えたというか、なんか昔知ったのと違うってな話もあったりで。
「ユーリー-ミラーの実験」という有名な科学実験がある。
地球の太古の状態(大気とか)を再現して、そこに電気とか刺激を与えて生命の元になるアミノ酸とかタンパク質を自然物の中から生成することが出来るのか。で、アミノ酸の生成に成功した=無機物から生命は出来る事を証明した! という実験。
昔、何かで読んだ(たぶんムーとかだと思うけどw)時には、実験自体に信憑性がない。完全な密閉や無菌状態など前提条件が満たされておらず、おそらく実験装置の外部から有機物が混入したとおもわれる。よって実験自体が眉唾物である。
と言うような記事だったと記憶している。なのでこの実験は、魂の重さを量る実験同様、稚拙な実験装置や前提条件をきちんとクリアしていない似非科学的実験の一つだと思っていたのですが。
どうもいま調べてみると、随分と昔読んだ記事と違う話がぼろぼろと。むしろ昔読んだ記事と同じ内容の話はぜんぜんヒットしない。うーん。これ糞記事の内容を今まで鵜呑みにしてたパターン?w
で、正しいと思われる情報としては、まずずっと「ユーリー・ミラー」という人がやった実験だとおもってたのですがスタンリー・ミラーと言う人がハロルド・ユーリーの研究室で行った実験で「ユーリー-ミラーの実験」だそうな。そこから覚え違いをしているw
次に、アミノ酸の生成自体は行われた。また、無機物から偶発的にアミノ酸が生成される事象は自然界では普通に起り、特に珍しい現象ではないというのが現在においては定説となっている。
しかし、実験で生成されたアミノ酸は、けっして生命の素となりえない種類のアミノ酸であったこと。さらには、当時実験で想定していた生命が誕生したとおもわれる時期の地球の環境が、現在では異なった環境だったとする説が有力であり、従って実験自体は過去の物として認識されているらしい。ただ、その科学的アプローチ、理念は後進に大きな影響を与えたとされている。
うーん。大昔のまだネットも無かった頃の雑誌の記事だから、その雑誌の記事書いた人もまともな情報とか裏とかも取れないような時代の記事だったんだなぁとかおもたりw
それはさておき。
「オリジン」よんでていろいろと考えが膨らんでいった事が一つ。
物質というのはエントロピーを増大させ続ける性質をもっているわけで。基本的にはより低いエネルギーの状態に移行していく性質をもつわけで。そこで生命というのはその法則に真っ向から対立している。
その辺で、創造論者は物質法則とはかけ離れた創造主の意志がーとかいう論拠になってたり、SFネタ的に(なんの本だか漫画だかアニメだかわすけたけど)生命の宇宙への反抗だとするネタとして使われたりするのですが。
よくこの問題で例えに出される物として雪の結晶があるのですが。本来エントロピーの増大=無秩序に物質は向かうはずなのに、どう見ても秩序のある形(=エントロピーの減少)に自然に成り立つ雪の結晶は、物理法則に反しているという問題。
その問題の解答は「エントロピーの増大は閉鎖系で行われるのであって開放形ではエントロピーが減少する事が出来る」というのが答えとなる。
とそこまでは漠然と知識として知ってはいたものの。具体的なイメージとしてはあんまりしっかりと考えたことなかったなと。「オリジン」の中で、この一時的にエントロピーが減少する理由としては、より効率よくエントロピーを増大させるためである。という考えを紹介していたり。
なにげにそれを読んで思ったのが。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」のなかで、遺伝子は自己の生存を第一義として利己的に振る舞う。としながらも、自然界において動物が利他的な行動を取るのはその法則に反するのではないだろうか、という問いについて論じている章がある。
たとえばそれが自分の子供を守るために自分の命をなげうつ場合。結果的に自分が死んだとしても、その場合は自己の遺伝子のコピーである我が子が生き延びることになるので、実質的には自己保存に成功しているといえる。しかし、赤の他人に対しても命をなげうつ利他的行動についてはどう説明すればよいのだろうか。
結論としては、「利他的行動を行う集団は、利他的行動を行わない集団に比べて集団として生き残る確率が高くなる」というものだったりする。これは統計的にも立証されているそうな。
自己の生存を第一義として利己的に振る舞う筈の遺伝子が、それとは矛盾する行いをする事があるが、大局的に見れば全体の生存の為に行っている行為として説明が付く。
そう、これって全く同じ図式なんですよね。生物を物質。生存をエントロピーに置き換えると、物質はエントロピーの増大を第一義としている。しかしそれに反してエントロピーが小さくなる現象がおこる事がある。その説明としては、一時的にエントロピーが低下しても、結果としてはよりエントロピーを大きくするための行為である。
よくこのエントロピーの法則は生命の存在と矛盾すると言われるけども、大局で見ればなんら矛盾はない。という説明がしっくりとなじむぽ。
そしてちょっと飛躍して、生命は物質に置き換えても同じということは、生命=物質すなわち唯物論は正しいんだー! という結論も導き出されるように思うのだがどうだろうかw
しかし、「オリジン」のなかで、さも大事のように書かれているのだけども、ごく最近、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の入学生で無神論者の割合が50%を越えたんだそうな。
日本人の感覚からすればむしろまだ50%近くも宗教に染まってるのかとそっちの方に驚くのだが。
とはいえ、そのあり方も大きく変わってきているようで。一昔前の1990年代頃とかだと、無神論者=神に敵対する物=サタンの手先。と言う認識で、単に神を信じていないことを表す時には「無宗教」と言わなければ誤解を招くというような状況だったと聞き及んでいる。それに比べれば随分と穏やかになってはいるんじゃないだろうか。
その背景には情報化社会になり、色んな情報が安易に手に入るようになり、今まではなんだか判らないモノとされていた物に科学的根拠とともにたんなる物理現象であると説明されたりして、迷信などにたいして惑わされなくなった。より現実的な物の考え方をするようになった。というのが理由の一つだと言われているそうな。
それでも大学入学する若い人でも50%近くが有神論者なのかとおもうとなぁ……。
で、「オリジン」のテーマのなかで、創造論は否定する方向なのだけども、その辺の予防線というか、一体誰と戦ってるんだ? という感じの回りくどい説明文あたりは、進化論まわりで同じように何と戦ってるんだ感バリバリだった「利己的な遺伝子」を思い出したりして。
もっともラングドンシリーズでは1作目の「天使と悪魔」においてすでに、反物質による無から有のビッグバンのモデルケースすなわち、創造論の否定は一回やってるネタではある。そのときはバチカンの教皇まで担ぎ出して、科学と折り合いを付ける現在の教会。というネタの焼き直し感もあったりするんだけど。今回も複数の宗教指導者のえらい人を巻き込む感じのストーリーだしね。
ほんと、日本人の感覚ではピンとこないけど、海外では宗教を否定するのも大変なんだなーとこの手のネタの本をみると毎回思いますね。
「オリジン」、導入が「我々はどこから来たのか。そして何処に行くのか」という問いにたいする明確な解答を導き出したんだけど、これ世界に発表する前に高名な宗教家のあなた方に意見をききたいんです。と、とある人物がプレゼンするところから始まる。
んで、どんな解答かというのはストーリーの都合上最後まで引っ張るのだけど。
高度なAIが出てくる展開だったので、ははーんさてはあれだな。とおもったのだけども大外れw
てかネタバレになるので作中の答えは伏せておくけど、なんか現代社会に対する警鐘をならす社会面の記事みたいなスケールの小さい話でがっかり。
さんざんひっぱっといてそれかいってかんじなんですけど。
んでも半分は当たってはいたのかなとも。
ちょいちょい見たことある設定がぽろぽろと。
作中の量子コンピュータが複数コアでの対話するという設計なのだけども
人間ではないバイオロイドが世界を管理して、またその意志決定の最重要機関はAIで、複数のコアとの対話による合議制で意志決定する(アップルシード)
とか。SFファン的にはどれもこれも見たこと聞いたことある物ばかり出てくるんだけども、これって逆に、現実がSFに追いついてきたんだよというネタだったりするんだろうか。そう考えると腑に落ちるんだけど。SFぽいけど実は現代物なんですよっていう。
なにげに攻殻2のなかで出てくる「こりゃ宇宙人の哲学書か?」とかいってたケイ素ベースの高度知的生命体の設計図が、その後のアップルシードのガイア(都市管理するコンピュータ)になるという設定があるのですが。(てか草薙の同位体が恐ろしく増えて、後づけ設定だとおもうけど、アップルシードの中のあのキャラは草薙の同位体なんですよとか、作品世界がつながり始めるのをみるとちょっと複雑。魍魎戦記マダラを思い出す……)
そんな感じで、てっきりAIがもっと進化して人工の生命体もしくは、物質世界のエミュレータ内で生命の誕生を再現した。みたいなネタなのかなーと想像していたんだけど、全然違うとはいわないまでも、かすった程度にしか当たってなかったなぁ。
まあただのSFファン向けの作品ではなく、あくまで現代に生きる人の、現実的なこれから直面するであろう問題について述べているという作品だと考えれば、内容が古いとかいうのは的外れではあるか。
あともう一つ気になった所が、この手の反宗教的内容の本で、これまた海外の著者において顕著なのですが、この「オリジン」も例に漏れず、「人間」という物がなにか特別な存在であるかのように扱われることが多い様に思うんですよね。世界には大別すると、「人間」と「それ以外」の2種類のものがあるみたいな。
その原因は他の生物とちがって、神からなんらかの特権を与えられているのが人間。っていう宗教的逸話が根源にあるのではないかとおもうのですよ。
このような人達は、創世は物理現象であって、神など存在しないと断じながらも、人間を特別扱いしている事に対しては何の疑問も持たないのだろうか?
その辺は根が深いなーとおもたり。
まあ子供の頃に植え付けられた因習や習慣といったものは、たやすくどうにか出来る物ではないのはわかるけど。唯物論者気取っていても、たとえば神社のお守りの袋を何の抵抗なく開けられるかとか。お地蔵様におしっこぶっかけられるのかとか。お守りはあえてやってみたことあるけど。工業製品っぽい紙のお札がはいっていただけでした。でもお地蔵様になんかするのは無理かも。
そのへんの畏れとかは因習や習慣で構築されたものですよね。この世界はすべて物質の作用として説明できるとしても、そうそう割り切れる物ではない。同じように、創世論をいまだに信じる人を完全に馬鹿にするのは結局、子供の頃にすり込まれたんだからしょうがないじゃん。100年後には変わっているといいね。てのが穏健で理性的な考え方というものなのかもしれない。
それでも、人間本位な考え方の西洋思想にたいしては、なんだかなぁという思いが大きかったりする。
そいえばもう一つ外れたなというのがあったっけか。
この世界の成り立ちの謎を解いたとされる人の持つ量子コンピュータにパスがかかっていて、それをラングドンが解くという展開があるのですが。
キーが、ある詩編であることが判明する。てきたところでははーん。「昔いまし今いまし……アルファでありオメガである」だな。ヨハネの黙示録の。本の内容的にはわかりやすすぎww
とか思ってたらこれまた大外れでしたw
てかこれだと余りにも狙いすぎだからだろうか。あと有名すぎる詩編ではキーにはならないか……。
それから余談。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC
この手の記事を書くとき、おさらいや間違えた知識を抱えてないか確認のために一応調べたりするのだけども。地動説のガリレオ裁判は逸話であって史実ではない的なネタはきいたことあるのだけど、具体的にはあんまりよく知らなくて。したらウィキみたら随分と話が違うんじゃない? と言う感じになったり。
どうも、真理の探究というよりは、宗教憎し、悪習を根絶せよという攻撃的な思想から生まれたもののような空気が。「無知蒙昧な宗教家が科学を暴力的に否定する」という図式が欲しくて広まったプロパガンダ的なものだったのかな。
それでもその逆の構図としてドーキンスの著書のなかでの、何と戦っているんだ? とおもわせるところの「敵」は明らかに存在しているようにおもうし、この辺はどっちも糞を投げ合っている感じなのだろうか……。
いずれにせよ、いまいち一般的な日本人的感覚からすると、なんでそんなにムキになっているのかが理解出来ないものである。お国柄といってしまえばそれまでだけど。
しかし確かに、想像出来ない事象というものもある。
無機物の固まり、集団が生物のように自立的になんらかの意志を持つかのように振る舞うと言うことについて。いわゆる生命の定義について。
攻殻のなかでは、一定の複雑さを獲得した物の総体が生命と定義付けられる的な解釈をしていたとおもう。その境界は曖昧で、その複雑さが問題であると。
実体験として、大昔、まだネットが黎明期のころに流行ったチャットの「人工無能」というものがあるのだけども。
ユーザーの書き込みにたいして構文解析して、自然な受け答えをする簡素なAI(と呼べるほど複雑なものでもない)なのだけども。
これがまた面白いぐらいに、ほんとに人間であるかのように振る舞い、なかには人工無能とマジ喧嘩してののしりあうユーザーもいたのを思い出す。その人工無能、設置したのは自分だけど、チューニングや解答例とかの言葉なんかをちょっと歪んだ性格の人間に任せたところ、ユーザーを怒らせやすい嫌な性格の人工無能になっちゃってたりして。なにげに人間の作ったAIは人間の鏡である。という話とちょっとつながるんだけどw
とにかく、あんな単純な構文解析と応答メッセージを適宜組み合わせるだけといった程度の物でも、安易にそこから見れば人間が応対していると勘違いするんだなという事実として、思い出深い事象だったりする。
重要なのは結局は複雑さであって、それが精神だとか魂だとか呼ばれる物の正体なのだろうなと、簡素ながら実体験としておもったものです。
知性や精神、魂なんてものは存在するように見えるだけで、問題は想像も付かないほどの複雑さを内包している所為で「越えられない壁」があるかのように錯覚し、その壁を越えるために安易に形而上のものに答えを求めるという思考の停止に陥るところにあるんだろうなと。
しかし生命の存在理由が、より大きくエントロピーを増大させるためというのはなんだか変な話だなと。
生命活動の意味が、より宇宙を早く殺す。一秒でも早く真っ平らにするため。ということになるのだから。これまた士郎正宗作品の話だけど、人間があてもなく生産を続けるのは、かつて人間は別の生命体によって生産する機械として作られたけど、作り手は他の星に行ってしまったかして、それで人間は環境を破壊してまであてどなく生産を続ける性質を持っている的なネタがでてくるのだけども。
環境破壊もいとわず生産を続ける。果ては核兵器とか反物質とか地球もろとも吹っ飛ばせるほどの物を生産するのは、いずれはすべてを盛大に、加速的に盛大な、莫大な物質を巻き込んでの自死を行うための過程(=より効率よくエントロピーを増大させるため)なのでは? と思うとある意味面白くもある。うーんSF。
生きる意味なんて何にもないでゴザルw
ううむ、やはりSFは面白い。
まだ9月になったばかりだとおもってたのに……。
図書館の本ここ最近の履歴~
ジェフリー・ディーヴァー
「限界点」
リンカーン・ライムシリーズではなく、単独の作品。
ちょっと訳が微妙だった(海外物ではよくあるがっかりパターン)けど、それ以外は普通にジェフリー・ディーヴァーらしい内容で楽しめた。
ジェフ・ライマン
「エア(プラチナ・ファンタジイ)」
攻殻の電脳化みたいなのが世界に広まる時に、未開の村にすむおばさん視点で世界を見るって感じの内容で、折り返しの煽りとか読んで面白そうだと借りてみた物の……
田舎のおばちゃんの田舎主婦トークがしばらくだらだら続いて……後ろの方をパラ読みしてもその後もなんかそんな感じで、思ってたのと違う……って感じで読むのが苦痛になりかなり序盤で挫折。
世間での評価はどうなん? とちょっと気になったので書評てきなのぐぐってみたらば。どうやらSF作品ではあるものの、この作家さん自体が、間近な庶民的な視線でのSFみたいなのにこだわる作家さんらしい。そのへんで、ツボにはまる人ははまるらしいが、駄目な人にはダメって感じらしい。おいらはダメな方でした。
堂場瞬一
「黒い紙」
「執着(捜査一課・澤村慶司)」
「蛮政の秋」
「under the bridge」
「over the edge」
「夏の雷音 」
ここ最近、堂場瞬一さん昔の作品を思い出すかんじのが多くて良い感じぽ。
「夏の雷音」なんかは、初期の探偵物をおもいだすかんじで。
んでも大学教授と教え子の小生意気な女生徒てと、なにげに森博嗣のS&Mシリーズを思い出す。
「under the bridge」「over the edge」は「バビロンの秘文字」でも思ったけど、日本の作家さんでもこれだけ海外のハードボイルド系とか冒険小説っぽい雰囲気を出せる作家さんはあんまりいないんですよね。その辺で訳が微妙かもという地雷にびくびくしながらも海外のその系の作品を読みあさるのですが。日本の作家さんで、それも良い感じのを書いてくれる作家さんは貴重です。
ダン・ブラウン
「オリジン」
ラングドンシリーズの新作。前作のインフェルノは、前評判で今回はフリーメイソンがネタでかなりやばいこと書いちゃうぜ~? とか煽ってた割には、内容をさっぱり思い出せないほど中身がなくてって肩すかし喰った感じだったりで。なんか最近ダン・ブラウン、以前はマイケル・クライトンぽいなーという印象だったのですが、最近は「神々の指紋」のグラハム・ハンコックっぽくなってきたな……とかw
今回は生命の起源、我々はどこから来たのか。そして何処に行くのか。というのがテーマ。
わりとストーリーは淡々と進んで、ミステリー的要素の部分は謎と呼べる物もなく、非常にシンプルな構成だったので、ちょっぴり物足りないかんじぽ。
内容的には、シンギュラリティとかなんかもはや手垢の付いたちょっと古いSFネタと、グーグルの量子コンピュータ(現状ではまだ本当にそう呼べるかは微妙なかんじらしいけど)とかの最先端の技術ネタを列挙しただけというかんじで、真新しさがないなーとかおもたり。殆どのことは既に知ってる、聞いたことある話ばかりだったので。
んでもいろいろと間違えて覚えたというか、なんか昔知ったのと違うってな話もあったりで。
「ユーリー-ミラーの実験」という有名な科学実験がある。
地球の太古の状態(大気とか)を再現して、そこに電気とか刺激を与えて生命の元になるアミノ酸とかタンパク質を自然物の中から生成することが出来るのか。で、アミノ酸の生成に成功した=無機物から生命は出来る事を証明した! という実験。
昔、何かで読んだ(たぶんムーとかだと思うけどw)時には、実験自体に信憑性がない。完全な密閉や無菌状態など前提条件が満たされておらず、おそらく実験装置の外部から有機物が混入したとおもわれる。よって実験自体が眉唾物である。
と言うような記事だったと記憶している。なのでこの実験は、魂の重さを量る実験同様、稚拙な実験装置や前提条件をきちんとクリアしていない似非科学的実験の一つだと思っていたのですが。
どうもいま調べてみると、随分と昔読んだ記事と違う話がぼろぼろと。むしろ昔読んだ記事と同じ内容の話はぜんぜんヒットしない。うーん。これ糞記事の内容を今まで鵜呑みにしてたパターン?w
で、正しいと思われる情報としては、まずずっと「ユーリー・ミラー」という人がやった実験だとおもってたのですがスタンリー・ミラーと言う人がハロルド・ユーリーの研究室で行った実験で「ユーリー-ミラーの実験」だそうな。そこから覚え違いをしているw
次に、アミノ酸の生成自体は行われた。また、無機物から偶発的にアミノ酸が生成される事象は自然界では普通に起り、特に珍しい現象ではないというのが現在においては定説となっている。
しかし、実験で生成されたアミノ酸は、けっして生命の素となりえない種類のアミノ酸であったこと。さらには、当時実験で想定していた生命が誕生したとおもわれる時期の地球の環境が、現在では異なった環境だったとする説が有力であり、従って実験自体は過去の物として認識されているらしい。ただ、その科学的アプローチ、理念は後進に大きな影響を与えたとされている。
うーん。大昔のまだネットも無かった頃の雑誌の記事だから、その雑誌の記事書いた人もまともな情報とか裏とかも取れないような時代の記事だったんだなぁとかおもたりw
それはさておき。
「オリジン」よんでていろいろと考えが膨らんでいった事が一つ。
物質というのはエントロピーを増大させ続ける性質をもっているわけで。基本的にはより低いエネルギーの状態に移行していく性質をもつわけで。そこで生命というのはその法則に真っ向から対立している。
その辺で、創造論者は物質法則とはかけ離れた創造主の意志がーとかいう論拠になってたり、SFネタ的に(なんの本だか漫画だかアニメだかわすけたけど)生命の宇宙への反抗だとするネタとして使われたりするのですが。
よくこの問題で例えに出される物として雪の結晶があるのですが。本来エントロピーの増大=無秩序に物質は向かうはずなのに、どう見ても秩序のある形(=エントロピーの減少)に自然に成り立つ雪の結晶は、物理法則に反しているという問題。
その問題の解答は「エントロピーの増大は閉鎖系で行われるのであって開放形ではエントロピーが減少する事が出来る」というのが答えとなる。
とそこまでは漠然と知識として知ってはいたものの。具体的なイメージとしてはあんまりしっかりと考えたことなかったなと。「オリジン」の中で、この一時的にエントロピーが減少する理由としては、より効率よくエントロピーを増大させるためである。という考えを紹介していたり。
なにげにそれを読んで思ったのが。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」のなかで、遺伝子は自己の生存を第一義として利己的に振る舞う。としながらも、自然界において動物が利他的な行動を取るのはその法則に反するのではないだろうか、という問いについて論じている章がある。
たとえばそれが自分の子供を守るために自分の命をなげうつ場合。結果的に自分が死んだとしても、その場合は自己の遺伝子のコピーである我が子が生き延びることになるので、実質的には自己保存に成功しているといえる。しかし、赤の他人に対しても命をなげうつ利他的行動についてはどう説明すればよいのだろうか。
結論としては、「利他的行動を行う集団は、利他的行動を行わない集団に比べて集団として生き残る確率が高くなる」というものだったりする。これは統計的にも立証されているそうな。
自己の生存を第一義として利己的に振る舞う筈の遺伝子が、それとは矛盾する行いをする事があるが、大局的に見れば全体の生存の為に行っている行為として説明が付く。
そう、これって全く同じ図式なんですよね。生物を物質。生存をエントロピーに置き換えると、物質はエントロピーの増大を第一義としている。しかしそれに反してエントロピーが小さくなる現象がおこる事がある。その説明としては、一時的にエントロピーが低下しても、結果としてはよりエントロピーを大きくするための行為である。
よくこのエントロピーの法則は生命の存在と矛盾すると言われるけども、大局で見ればなんら矛盾はない。という説明がしっくりとなじむぽ。
そしてちょっと飛躍して、生命は物質に置き換えても同じということは、生命=物質すなわち唯物論は正しいんだー! という結論も導き出されるように思うのだがどうだろうかw
しかし、「オリジン」のなかで、さも大事のように書かれているのだけども、ごく最近、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の入学生で無神論者の割合が50%を越えたんだそうな。
日本人の感覚からすればむしろまだ50%近くも宗教に染まってるのかとそっちの方に驚くのだが。
とはいえ、そのあり方も大きく変わってきているようで。一昔前の1990年代頃とかだと、無神論者=神に敵対する物=サタンの手先。と言う認識で、単に神を信じていないことを表す時には「無宗教」と言わなければ誤解を招くというような状況だったと聞き及んでいる。それに比べれば随分と穏やかになってはいるんじゃないだろうか。
その背景には情報化社会になり、色んな情報が安易に手に入るようになり、今まではなんだか判らないモノとされていた物に科学的根拠とともにたんなる物理現象であると説明されたりして、迷信などにたいして惑わされなくなった。より現実的な物の考え方をするようになった。というのが理由の一つだと言われているそうな。
それでも大学入学する若い人でも50%近くが有神論者なのかとおもうとなぁ……。
で、「オリジン」のテーマのなかで、創造論は否定する方向なのだけども、その辺の予防線というか、一体誰と戦ってるんだ? という感じの回りくどい説明文あたりは、進化論まわりで同じように何と戦ってるんだ感バリバリだった「利己的な遺伝子」を思い出したりして。
もっともラングドンシリーズでは1作目の「天使と悪魔」においてすでに、反物質による無から有のビッグバンのモデルケースすなわち、創造論の否定は一回やってるネタではある。そのときはバチカンの教皇まで担ぎ出して、科学と折り合いを付ける現在の教会。というネタの焼き直し感もあったりするんだけど。今回も複数の宗教指導者のえらい人を巻き込む感じのストーリーだしね。
ほんと、日本人の感覚ではピンとこないけど、海外では宗教を否定するのも大変なんだなーとこの手のネタの本をみると毎回思いますね。
「オリジン」、導入が「我々はどこから来たのか。そして何処に行くのか」という問いにたいする明確な解答を導き出したんだけど、これ世界に発表する前に高名な宗教家のあなた方に意見をききたいんです。と、とある人物がプレゼンするところから始まる。
んで、どんな解答かというのはストーリーの都合上最後まで引っ張るのだけど。
高度なAIが出てくる展開だったので、ははーんさてはあれだな。とおもったのだけども大外れw
てかネタバレになるので作中の答えは伏せておくけど、なんか現代社会に対する警鐘をならす社会面の記事みたいなスケールの小さい話でがっかり。
さんざんひっぱっといてそれかいってかんじなんですけど。
んでも半分は当たってはいたのかなとも。
ちょいちょい見たことある設定がぽろぽろと。
作中の量子コンピュータが複数コアでの対話するという設計なのだけども
人間ではないバイオロイドが世界を管理して、またその意志決定の最重要機関はAIで、複数のコアとの対話による合議制で意志決定する(アップルシード)
とか。SFファン的にはどれもこれも見たこと聞いたことある物ばかり出てくるんだけども、これって逆に、現実がSFに追いついてきたんだよというネタだったりするんだろうか。そう考えると腑に落ちるんだけど。SFぽいけど実は現代物なんですよっていう。
なにげに攻殻2のなかで出てくる「こりゃ宇宙人の哲学書か?」とかいってたケイ素ベースの高度知的生命体の設計図が、その後のアップルシードのガイア(都市管理するコンピュータ)になるという設定があるのですが。(てか草薙の同位体が恐ろしく増えて、後づけ設定だとおもうけど、アップルシードの中のあのキャラは草薙の同位体なんですよとか、作品世界がつながり始めるのをみるとちょっと複雑。魍魎戦記マダラを思い出す……)
そんな感じで、てっきりAIがもっと進化して人工の生命体もしくは、物質世界のエミュレータ内で生命の誕生を再現した。みたいなネタなのかなーと想像していたんだけど、全然違うとはいわないまでも、かすった程度にしか当たってなかったなぁ。
まあただのSFファン向けの作品ではなく、あくまで現代に生きる人の、現実的なこれから直面するであろう問題について述べているという作品だと考えれば、内容が古いとかいうのは的外れではあるか。
あともう一つ気になった所が、この手の反宗教的内容の本で、これまた海外の著者において顕著なのですが、この「オリジン」も例に漏れず、「人間」という物がなにか特別な存在であるかのように扱われることが多い様に思うんですよね。世界には大別すると、「人間」と「それ以外」の2種類のものがあるみたいな。
その原因は他の生物とちがって、神からなんらかの特権を与えられているのが人間。っていう宗教的逸話が根源にあるのではないかとおもうのですよ。
このような人達は、創世は物理現象であって、神など存在しないと断じながらも、人間を特別扱いしている事に対しては何の疑問も持たないのだろうか?
その辺は根が深いなーとおもたり。
まあ子供の頃に植え付けられた因習や習慣といったものは、たやすくどうにか出来る物ではないのはわかるけど。唯物論者気取っていても、たとえば神社のお守りの袋を何の抵抗なく開けられるかとか。お地蔵様におしっこぶっかけられるのかとか。お守りはあえてやってみたことあるけど。工業製品っぽい紙のお札がはいっていただけでした。でもお地蔵様になんかするのは無理かも。
そのへんの畏れとかは因習や習慣で構築されたものですよね。この世界はすべて物質の作用として説明できるとしても、そうそう割り切れる物ではない。同じように、創世論をいまだに信じる人を完全に馬鹿にするのは結局、子供の頃にすり込まれたんだからしょうがないじゃん。100年後には変わっているといいね。てのが穏健で理性的な考え方というものなのかもしれない。
それでも、人間本位な考え方の西洋思想にたいしては、なんだかなぁという思いが大きかったりする。
そいえばもう一つ外れたなというのがあったっけか。
この世界の成り立ちの謎を解いたとされる人の持つ量子コンピュータにパスがかかっていて、それをラングドンが解くという展開があるのですが。
キーが、ある詩編であることが判明する。てきたところでははーん。「昔いまし今いまし……アルファでありオメガである」だな。ヨハネの黙示録の。本の内容的にはわかりやすすぎww
とか思ってたらこれまた大外れでしたw
てかこれだと余りにも狙いすぎだからだろうか。あと有名すぎる詩編ではキーにはならないか……。
それから余談。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC
この手の記事を書くとき、おさらいや間違えた知識を抱えてないか確認のために一応調べたりするのだけども。地動説のガリレオ裁判は逸話であって史実ではない的なネタはきいたことあるのだけど、具体的にはあんまりよく知らなくて。したらウィキみたら随分と話が違うんじゃない? と言う感じになったり。
科学と宗教の対立という構図は、19世紀に科学者によってつくられたストーリーである
どうも、真理の探究というよりは、宗教憎し、悪習を根絶せよという攻撃的な思想から生まれたもののような空気が。「無知蒙昧な宗教家が科学を暴力的に否定する」という図式が欲しくて広まったプロパガンダ的なものだったのかな。
それでもその逆の構図としてドーキンスの著書のなかでの、何と戦っているんだ? とおもわせるところの「敵」は明らかに存在しているようにおもうし、この辺はどっちも糞を投げ合っている感じなのだろうか……。
いずれにせよ、いまいち一般的な日本人的感覚からすると、なんでそんなにムキになっているのかが理解出来ないものである。お国柄といってしまえばそれまでだけど。
しかし確かに、想像出来ない事象というものもある。
無機物の固まり、集団が生物のように自立的になんらかの意志を持つかのように振る舞うと言うことについて。いわゆる生命の定義について。
攻殻のなかでは、一定の複雑さを獲得した物の総体が生命と定義付けられる的な解釈をしていたとおもう。その境界は曖昧で、その複雑さが問題であると。
実体験として、大昔、まだネットが黎明期のころに流行ったチャットの「人工無能」というものがあるのだけども。
ユーザーの書き込みにたいして構文解析して、自然な受け答えをする簡素なAI(と呼べるほど複雑なものでもない)なのだけども。
これがまた面白いぐらいに、ほんとに人間であるかのように振る舞い、なかには人工無能とマジ喧嘩してののしりあうユーザーもいたのを思い出す。その人工無能、設置したのは自分だけど、チューニングや解答例とかの言葉なんかをちょっと歪んだ性格の人間に任せたところ、ユーザーを怒らせやすい嫌な性格の人工無能になっちゃってたりして。なにげに人間の作ったAIは人間の鏡である。という話とちょっとつながるんだけどw
とにかく、あんな単純な構文解析と応答メッセージを適宜組み合わせるだけといった程度の物でも、安易にそこから見れば人間が応対していると勘違いするんだなという事実として、思い出深い事象だったりする。
重要なのは結局は複雑さであって、それが精神だとか魂だとか呼ばれる物の正体なのだろうなと、簡素ながら実体験としておもったものです。
知性や精神、魂なんてものは存在するように見えるだけで、問題は想像も付かないほどの複雑さを内包している所為で「越えられない壁」があるかのように錯覚し、その壁を越えるために安易に形而上のものに答えを求めるという思考の停止に陥るところにあるんだろうなと。
しかし生命の存在理由が、より大きくエントロピーを増大させるためというのはなんだか変な話だなと。
生命活動の意味が、より宇宙を早く殺す。一秒でも早く真っ平らにするため。ということになるのだから。これまた士郎正宗作品の話だけど、人間があてもなく生産を続けるのは、かつて人間は別の生命体によって生産する機械として作られたけど、作り手は他の星に行ってしまったかして、それで人間は環境を破壊してまであてどなく生産を続ける性質を持っている的なネタがでてくるのだけども。
環境破壊もいとわず生産を続ける。果ては核兵器とか反物質とか地球もろとも吹っ飛ばせるほどの物を生産するのは、いずれはすべてを盛大に、加速的に盛大な、莫大な物質を巻き込んでの自死を行うための過程(=より効率よくエントロピーを増大させるため)なのでは? と思うとある意味面白くもある。うーんSF。
生きる意味なんて何にもないでゴザルw
ううむ、やはりSFは面白い。
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