堕天使の煉獄
2016-12
29
07:40:25
王牌不要論
ツモ回数と王牌
ttp://www9.plala.or.jp/majan/km14.html
ゲームの二人打ち形式の麻雀の場合、自摸回数はどうなるのだろう? と調べてた時にヒットした記事。
普通はポンとかで自摸順変わらなければ、東南は18枚、西北は17枚の自摸が出来る。
で二人打ちの場合、捲られることのない死に牌が増えるので、自摸の枚数の上限を上げている場合がある模様。
調べてみたところ、二人の合計自摸数が「36回、40回、44回」の三パターンが既存のゲームなどでは多いとのこと。
36は18*2で、ほぼそのままのルールで、どうせ死に牌なんだからもうちょっと捲ろうぜってのがそれ以降のパターンな感じで。
さすがに最後まで……18*4=72回というのは一局が長ったらしすぎるのか存在しない模様。
で、最初のURLの記事。
通常の四人打ちで、王牌の分の死に牌って必要? と。
実際、場に残ってる枚数考えて、当り牌は後一枚あるはずだっ! と思っていても、それが王牌にあると既に詰んでるというのは、なんだか理不尽だなーと感じてはいたけど。(嶺上開花はロマンではあるけどさ……それでも王牌のなかのさらに4枚しかチャンス無いし)
そこから、そもそもドラとかいらなくね? つーか槓とかもいらなくね? と言ったところまで議論が飛躍していく。
実際、麻雀プログラミングする場合、特にエッセンスとして積み込みとか考えた場合、王牌ってまず要らないんですよね。
自摸もドラも嶺上牌も、全部単一の牌山リスト一本あればOKで、そこから配牌後は常にどの動作も一枚popするだけで。ドラだけは捲ったものだけ別のリストに保存する感じで。
んで、残り枚数とか自摸回数とかで終局判定と。
王牌の死に牌分律儀に死に牌として確保しないで、その浮いてる分も積み込みでは利用可能牌にした方が有意義ですし。
良くある脱衣麻雀のギミックアイテムで、「一発自摸」(必ず自摸で当り牌弾いてくる)とかやるときも、いちいち山牌と王牌の両方走査とかしなくて良いし。
てなかんじで最初に王牌を確保して別で管理する意義が0なんですよね。
あとはポンで自摸順変わるのとか槓回りの処理とかは、記事の内容とは別の意味でプログラマ的に、こんなルール考えた奴は氏ねと思うぐらいうっとうしいルールだなと思いますが……w
四人打ちならドラ表示牌以外の牌無くなるまで自摸ったったらええんちゃう?
というのはアリじゃねと確かに思うですね。死に牌残す意味がわからない。
それが二人打ちとなると、死に牌がプレイヤ二人分手牌13*2+自摸18*2の62枚もあるし。
でもそこで最後の一枚まで自摸はちょっとゲーム的にも酷い感じになるのは目に見えてるし。
三人打ちだと色一色分の中張牌((2..8)*4)=28枚を抜くのでそれほど死に牌はふえないんですが。
でも二人打ちで抜き牌はなぁ。
てことで、二人打ちはやはり緩やかにでも配牌に細工したりとかの方向が妥当なのかなーと。
でも脱衣麻雀のシステムであったのが、この配牌だとこの和了形の設定だなというのが決まってて、その形に自摸も用意されてる。そのレールに乗れるかというのが攻略法的なのも、たまにはいいけど毎度それだと興ざめするですよね。
打ってる途中で、「しまったこの設定は清一色設定だったのか……」とか自摸がやたらと同じ色ばかり続いたあとで気づいたりとか、あとから修正効かない、打ち筋を強制される感じ、あたりがちょっと気持ち悪くもあったりするぽ。
その辺は攻略法を見つけることに喜びを感じるプレイスタイルと、自然な流れの運と実力の勝負で楽しむタイプとかで感想は分かれる部分だなぁ。
そんな感じで、二人打ちの自摸回数増やすのは余所でもやってるしOKとしても。四人打ちでも自摸回数増やすのも……なにげにアリなのかなーとかおもたりして。
どうせ自分で作るのはアイテム有りのゲテモノ麻雀なんだしさ(ぉ
あと思い出したのは、昔やった4人打ちのPCゲームの麻雀だったかで。
敵CPUの強さをEASYにすると、一切あがらない、聴牌すらしないというのがあったな……。それはそれで詰まらなすぎるだろうとおもたっけw
あと、山牌積み込みで、特定役へのレールがひかれてるような感じの時、ポンする、されるて自摸順変わるとアウトとかもあったな。
その辺はどうなんだろう。
最初から牌山から各キャラ枚に配牌と同じ感じで自摸用のリストに牌配って、自摸はそこからてのだと、ポンで自摸順変わっても関係無くレール打ち(今考えた名称)出来ると思うんだけど、それはリアルじゃないっていう判断なのだろうか? でもそこはこだわるのかよっていうバランス感覚はよくわかんないけどw
そもそも、CPUがしょぼいと、まず鳴かないってのもあったですね。
鳴きを含めた手作りというのが考慮してない安っぽい作りとかもあるけど、ポンで自摸順変えたら牌山の積み込みが無駄になるだろってことなのかな。
で、自分でないて自摸順変えると墓穴掘るというw
でも実際、鳴きって麻雀プログラム的には、無かったらすごく楽ではあるですね。
基本鳴くと安くなるし。
まあ世代的に哭きの竜とかのイメージもあって、鳴くとすごい手作ってるというイメージもあったりするんですが、実際には苦し紛れに鳴いたしょぼ手が殆ど。早和了っつってもそこまで早くならないどころか手をさらしたことによるデメリットとか、手換え出来にくくなるとか不利な点のが多いし。
二人打ち限定だと互いにポンでもチーでも出来るし自摸順も変わらないからまだ楽ですけど。
でもまあこの辺は、こだわりだしたらきりがないってレベルの話なんでしょうけど。
そんなかんじで相変わらずPGガリガリ。
なにげに今日の迷いポイントは、理牌なし設定のとき、上下逆さ表示牌を混ぜる作りとして。(どうせ立直とかで牌を横に傾けるかのフラグつけるんだから上下反転もついでにつけとけやってかんじで)
二値のランダム生成てどうしようなーと。
たった二値のランダム生成でもメルセンヌ・ツイスタとかつかうんか? rand()で十分? でも実際rand()よりもメルセンヌ・ツイスタのが軽さでも上とかいう記事もあったりするし。でも二値限定だとどうなん? 二値だと偏りとか気にしないでもいいようなアレだし……。いや気になる偏りかたしちゃうのかな。
でも上下逆って、たまにあるからいいのかなーとおもうと、確率的に五分じゃなくて逆向きは30%ぐらいの確率分布にするとかした方が自然っぽいのかなとか。
乱数の範囲を1-100でつくって結果が70以下ならtrue(牌通常表示)falseなら上下逆表示~とか?
でも牌一枚当りにまいどそれやるの? そこまでやるほどの処理か? とか。
その辺で、コストと精度でどのへんがいいのかなーと悩むw
ものすごくどうでもいいことに悩んでますね……。
そんなかんじで、麻雀と関係無い部分で無駄に時間食ったりしてる感じでつ。
ttp://www9.plala.or.jp/majan/km14.html
ゲームの二人打ち形式の麻雀の場合、自摸回数はどうなるのだろう? と調べてた時にヒットした記事。
普通はポンとかで自摸順変わらなければ、東南は18枚、西北は17枚の自摸が出来る。
で二人打ちの場合、捲られることのない死に牌が増えるので、自摸の枚数の上限を上げている場合がある模様。
調べてみたところ、二人の合計自摸数が「36回、40回、44回」の三パターンが既存のゲームなどでは多いとのこと。
36は18*2で、ほぼそのままのルールで、どうせ死に牌なんだからもうちょっと捲ろうぜってのがそれ以降のパターンな感じで。
さすがに最後まで……18*4=72回というのは一局が長ったらしすぎるのか存在しない模様。
で、最初のURLの記事。
通常の四人打ちで、王牌の分の死に牌って必要? と。
実際、場に残ってる枚数考えて、当り牌は後一枚あるはずだっ! と思っていても、それが王牌にあると既に詰んでるというのは、なんだか理不尽だなーと感じてはいたけど。(嶺上開花はロマンではあるけどさ……それでも王牌のなかのさらに4枚しかチャンス無いし)
そこから、そもそもドラとかいらなくね? つーか槓とかもいらなくね? と言ったところまで議論が飛躍していく。
実際、麻雀プログラミングする場合、特にエッセンスとして積み込みとか考えた場合、王牌ってまず要らないんですよね。
自摸もドラも嶺上牌も、全部単一の牌山リスト一本あればOKで、そこから配牌後は常にどの動作も一枚popするだけで。ドラだけは捲ったものだけ別のリストに保存する感じで。
んで、残り枚数とか自摸回数とかで終局判定と。
王牌の死に牌分律儀に死に牌として確保しないで、その浮いてる分も積み込みでは利用可能牌にした方が有意義ですし。
良くある脱衣麻雀のギミックアイテムで、「一発自摸」(必ず自摸で当り牌弾いてくる)とかやるときも、いちいち山牌と王牌の両方走査とかしなくて良いし。
てなかんじで最初に王牌を確保して別で管理する意義が0なんですよね。
あとはポンで自摸順変わるのとか槓回りの処理とかは、記事の内容とは別の意味でプログラマ的に、こんなルール考えた奴は氏ねと思うぐらいうっとうしいルールだなと思いますが……w
四人打ちならドラ表示牌以外の牌無くなるまで自摸ったったらええんちゃう?
というのはアリじゃねと確かに思うですね。死に牌残す意味がわからない。
それが二人打ちとなると、死に牌がプレイヤ二人分手牌13*2+自摸18*2の62枚もあるし。
でもそこで最後の一枚まで自摸はちょっとゲーム的にも酷い感じになるのは目に見えてるし。
三人打ちだと色一色分の中張牌((2..8)*4)=28枚を抜くのでそれほど死に牌はふえないんですが。
でも二人打ちで抜き牌はなぁ。
てことで、二人打ちはやはり緩やかにでも配牌に細工したりとかの方向が妥当なのかなーと。
でも脱衣麻雀のシステムであったのが、この配牌だとこの和了形の設定だなというのが決まってて、その形に自摸も用意されてる。そのレールに乗れるかというのが攻略法的なのも、たまにはいいけど毎度それだと興ざめするですよね。
打ってる途中で、「しまったこの設定は清一色設定だったのか……」とか自摸がやたらと同じ色ばかり続いたあとで気づいたりとか、あとから修正効かない、打ち筋を強制される感じ、あたりがちょっと気持ち悪くもあったりするぽ。
その辺は攻略法を見つけることに喜びを感じるプレイスタイルと、自然な流れの運と実力の勝負で楽しむタイプとかで感想は分かれる部分だなぁ。
そんな感じで、二人打ちの自摸回数増やすのは余所でもやってるしOKとしても。四人打ちでも自摸回数増やすのも……なにげにアリなのかなーとかおもたりして。
どうせ自分で作るのはアイテム有りのゲテモノ麻雀なんだしさ(ぉ
あと思い出したのは、昔やった4人打ちのPCゲームの麻雀だったかで。
敵CPUの強さをEASYにすると、一切あがらない、聴牌すらしないというのがあったな……。それはそれで詰まらなすぎるだろうとおもたっけw
あと、山牌積み込みで、特定役へのレールがひかれてるような感じの時、ポンする、されるて自摸順変わるとアウトとかもあったな。
その辺はどうなんだろう。
最初から牌山から各キャラ枚に配牌と同じ感じで自摸用のリストに牌配って、自摸はそこからてのだと、ポンで自摸順変わっても関係無くレール打ち(今考えた名称)出来ると思うんだけど、それはリアルじゃないっていう判断なのだろうか? でもそこはこだわるのかよっていうバランス感覚はよくわかんないけどw
そもそも、CPUがしょぼいと、まず鳴かないってのもあったですね。
鳴きを含めた手作りというのが考慮してない安っぽい作りとかもあるけど、ポンで自摸順変えたら牌山の積み込みが無駄になるだろってことなのかな。
で、自分でないて自摸順変えると墓穴掘るというw
でも実際、鳴きって麻雀プログラム的には、無かったらすごく楽ではあるですね。
基本鳴くと安くなるし。
まあ世代的に哭きの竜とかのイメージもあって、鳴くとすごい手作ってるというイメージもあったりするんですが、実際には苦し紛れに鳴いたしょぼ手が殆ど。早和了っつってもそこまで早くならないどころか手をさらしたことによるデメリットとか、手換え出来にくくなるとか不利な点のが多いし。
二人打ち限定だと互いにポンでもチーでも出来るし自摸順も変わらないからまだ楽ですけど。
でもまあこの辺は、こだわりだしたらきりがないってレベルの話なんでしょうけど。
そんなかんじで相変わらずPGガリガリ。
なにげに今日の迷いポイントは、理牌なし設定のとき、上下逆さ表示牌を混ぜる作りとして。(どうせ立直とかで牌を横に傾けるかのフラグつけるんだから上下反転もついでにつけとけやってかんじで)
二値のランダム生成てどうしようなーと。
たった二値のランダム生成でもメルセンヌ・ツイスタとかつかうんか? rand()で十分? でも実際rand()よりもメルセンヌ・ツイスタのが軽さでも上とかいう記事もあったりするし。でも二値限定だとどうなん? 二値だと偏りとか気にしないでもいいようなアレだし……。いや気になる偏りかたしちゃうのかな。
でも上下逆って、たまにあるからいいのかなーとおもうと、確率的に五分じゃなくて逆向きは30%ぐらいの確率分布にするとかした方が自然っぽいのかなとか。
乱数の範囲を1-100でつくって結果が70以下ならtrue(牌通常表示)falseなら上下逆表示~とか?
でも牌一枚当りにまいどそれやるの? そこまでやるほどの処理か? とか。
その辺で、コストと精度でどのへんがいいのかなーと悩むw
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