堕天使の煉獄
2016-07
01
05:01:05
なんかこの系の話おおいね最近
図書館に行く。今回借りたのはこんな感じ。
高橋克彦「霊の柩」
笠井潔「熾天使の夏」
笠井潔「吸血鬼と精神分析」
堂場舜一「警察回りの夏」
島田荘司「御手洗潔の挨拶」
ネットでのおすすめとか目についたのとか、作家のウィキの作品一覧なんかをどかどかとコピペしてるテキストがあって、そこから大抵何借りようか考えたりするのですが。
みてたら、島田荘司の御手洗潔シリーズ、とりあえずシリーズ中でも、1作目の占星術殺人事件と、3作目の異邦の騎士。トリックなら2作目の斜め屋敷の犯罪なんかが結構有名で、全然このシリーズや島田荘司を知らなかったころでも、占星術殺人事件というミステリーが面白いみたいなのは風の噂に聞いてたぐらいで。確かにこの異邦の騎士までは面白かったのだけども、んでもこの3作目移行はあんまし評判とか聞いたこと無かったので、何となく異邦の騎士でシリーズ読むの止まってたのを思い出して。
したら、異邦の騎士の前に短編が一冊でてたのですね。それが「御手洗潔の挨拶」で、これも人気の高い作らしい。長編の方しかチェックしてなかったので、見落としてたです。
が、その辺で他の短編とかどないだろと調べてみたところ……。
探偵『御手洗潔』シリーズはなぜ、35年目にして映画化されたのか? 原作者・島田荘司語る
ttp://news.mynavi.jp/articles/2016/05/06/person/
今になって、しかもなう、6月公開で映画化してたのを知ったり。
何で今頃……。えらくタイムリーな話だなとおもいつつも、まあ昨今の日本の映画とか興味無いので見ることは無いんですけど。
でも、微妙に影響でるのが、図書館の蔵書。
ちょっと前にも、これも今頃かよっていう、森博嗣の「すべてがFになる」がドラマやらアニメ化されてたのですが、その少し前ぐらいから、このシリーズ(S&Mシリーズ)を順に読み進めてたんですよね。
その最中に映像化となって、それで、ほとんどが図書館の本棚ではなく、裏の書庫にあるような古いシリーズだったので、普通にいつでも借りれる状態だったのが、それが急に借りる人が増えて、予約まで入るようになってたりして。
返却の際にまだ読み終わってない奴はもう一度継続して借りる手続きをとれるのですが、予約が入ってる場合は当然、継続は出来なくなるんですよね。
それで、それまではなんども継続借りしながらゆっくり読んでたのが、今返しに行くと次の人の順番待ちで借りれなくなるってんで、慌ただしく読むハメになった感じになったりして。
んで話は戻って、昨日。ちょうど御手洗潔シリーズの続きにも手をつけようかと思ってたタイミングで映像化の話とか、なんかデジャヴ~。
実際、御手洗潔シリーズ借りようと目星をつけてた頃から、三作目まで読んでた頃までそれとなく目に入ってた貸し出し状況では、このシリーズ私しか借りてないぐらいの状況だったんですが、(1作目は1981年なのでもう30年前以上前の作品だし)昨日見たときは占星術殺人事件ほか数冊が貸し出し中になってたりして。
なんだかんだ言って、マスメディアの影響ておおきいんだなぁとか。
にしても、最近この手の話ふえたなぁ。ものすごく古い作品の映像化とか。
単にリバイバルブームとかいうんじゃなくて、最近の脚本家とかがろくな新作を書けないもんで、昔の名作と呼ばれる物を引っ張り出してきてるという、お粗末な状況のようにも思えるのですが、それは邪推というものですかね。
しかし……見る気もないのでアレなのですが、「すべてがFになる」のオチってどうなってるんですかね。これも相当古い作品で、なんせ作中の大学のワークステーションが16bitマシンとかですからね。
んでもって、ビット演算ネタとか、今風になんか変えてるのかな? それとも、そんな専門知識必要なネタじゃなくもっとわかりやすいネタとかになってるんですかね。その点だけちょっと気になる所だったりして。
んでも……20年とか30年前の作品を、その当時の時間軸でやってるのかな? 御手洗潔シリーズにしても。
現代風に焼き直すのは、携帯電話とかスマホとかあるしなぁ。
わりと、携帯電話普及してるだけで崩壊するトリックとかありそうだしw
スマホで検索とかそういったデジタルツールも考えると、現代ミステリーって結構昔以上に頭つかいそうだなーとかおもたり。いまどきスマホや携帯の使えない山奥とか、どんだけ山奥だよってレベルにしか存在しないだろうし。
なにげにここ数年、わりと「昔の名作のおすすめリスト」的なものを元に読んでるばかりで、現代物、最新のミステリーとかとんと読んでない事にも気づいたり。
携帯がまだ存在しない。携帯もったんだ! とか、携帯持ってる人のが珍しいみたいな時間軸の世界の作品ばかり読んでるぽw
ここ最近読んでるので、携帯とか出てくるの、今回も借りてる堂場舜一の本ぐらいだものな。この人のだけ毎度新しい新作見つけたら読んでると言う感じなので。
あとは警察の科学捜査も進歩してるので、30年前ぐらいの作品だと、コレ普通に鑑識とか監察医が見逃すわけ無いだろみたいな感想もっちゃうミステリーとか結構あるし。
リアリティ追求方向だと、ものすごく知識とか資料が必要で割に合わないジャンルになっちゃってそうだな。現代ミステリー。
わりと昔のは捜査が伸びて伸びて、迷宮入りってなところで名探偵参上みたいな感じのが一つのパターンですが、現代だと科学捜査が進みすぎてて、探偵が警察捜査に関わること自体がもはやファンタジーですよね。逆に犯人捜し以外の部分にスポット当てたりとか謎解きよりも犯人の心理分析メインとかのが多いんじゃないかな。でもそうなるとジャンルはミステリーではなくサスペンスになっちゃうか。
そうなると、ここ最近読んでるような、昔ながらのフォーマットの名作ミステリーのような物は、すでに現代物では成立しない感じなのだろうか。
昔の名作ばかりじゃなくて、現代のミステリーってのもたまには読まないとな……。
あとはちょっと気になって後で調べてみようと思ってた物が一つあって。
「首を振る」の使い方
ttp://kotobakai.seesaa.net/article/8238105.html
高橋克彦の「竜の柩」シリーズ読んでたときに、ちょいちょい「首を振った」という記述がでてくるのですが、それがみんな、肯定の意味で使われてるんですよね。
ただ、文脈的には肯定してると判るのと、否定の場合は「首を横に振った」と、書かれている。肯定の縦にの場合は省略される形です。
私的には単に「首を振った」とだけ書かれている場合は、首を横に振った=否定の意味のイメージだったりして。で、肯定の場合には、「縦に振った」とか普通に「頷いた」を使うかと。
辞書で調べると、「首を振る」には肯定も否定もどちらの表現も含むということで、何も為しに単に「首を振った」の場合はどちらの意味でも使える言葉のようですね。
高橋克彦の著書の中では少なくとも、肯定否定が同じ「首を振った」という表現で入り交じってることはなく、ただ「首を振った」と書かれている場合は常に肯定の場合に使われ、否定の時にはちゃんと「横に」とか追加されていたりと、ちゃんとした一貫性はあるのですが。
それでも、文脈的に肯定していると分かっていても「首を振った」という所を読むと、頭の中では登場人物たちが首を横に振ってる絵が頭に浮かんじゃうんですよね……。
竜の柩の作中、ちょっといい話てきな、演説っぽいことを主人公が言って仲間を説得し奮い立たせる。それに感銘を受けて他の仲間達が、一斉に「首を振った」って……ところがあるんですが。
文脈的には、みんな感銘を受けて、良しやるぞと頷いた。みたいなシーンなんですが、私の脳内には、みんなが一斉に「何を言ってるんだお前は。」と一斉に首を横に振る情景が浮かんでしまってww
なんか盛り上がるシーンの筈なのに台無しだよ……っていうところがいくつかあったり。
そんで、いやいや、コレは肯定だから。と自分で自分につっこんで修正する……というのを最後まで続けてたっけ……。わりと頻出するんですよね「首を振った」。
別に実際の語としての用法的には間違いと言うわけではないし、上のURLのなかにも書かれているように、作家さんの方言的なものなのかも知れないのですけど、すでに私の中では「首を振る」だけの場合は否定という刷り込みが出来上がっているで所為でか、ややこしい感じになっちゃってるぅw
上のURLのなかの他の作家の例で、一貫性無く縦と横が同じ表現で入り交じってるのは、かなりうっとうしいなコレは……。
前後の文脈でどっちかは大抵判断できるとはいえ、毎度どっちだと前後をみて確認するのかコレ。
というわけで、他にこの点で気になってる人が他にいることが分かって、よかった自分だけじゃ無かったんだと一安心したり。
言葉ってむずかすぃ。
高橋克彦「霊の柩」
笠井潔「熾天使の夏」
笠井潔「吸血鬼と精神分析」
堂場舜一「警察回りの夏」
島田荘司「御手洗潔の挨拶」
ネットでのおすすめとか目についたのとか、作家のウィキの作品一覧なんかをどかどかとコピペしてるテキストがあって、そこから大抵何借りようか考えたりするのですが。
みてたら、島田荘司の御手洗潔シリーズ、とりあえずシリーズ中でも、1作目の占星術殺人事件と、3作目の異邦の騎士。トリックなら2作目の斜め屋敷の犯罪なんかが結構有名で、全然このシリーズや島田荘司を知らなかったころでも、占星術殺人事件というミステリーが面白いみたいなのは風の噂に聞いてたぐらいで。確かにこの異邦の騎士までは面白かったのだけども、んでもこの3作目移行はあんまし評判とか聞いたこと無かったので、何となく異邦の騎士でシリーズ読むの止まってたのを思い出して。
したら、異邦の騎士の前に短編が一冊でてたのですね。それが「御手洗潔の挨拶」で、これも人気の高い作らしい。長編の方しかチェックしてなかったので、見落としてたです。
が、その辺で他の短編とかどないだろと調べてみたところ……。
探偵『御手洗潔』シリーズはなぜ、35年目にして映画化されたのか? 原作者・島田荘司語る
ttp://news.mynavi.jp/articles/2016/05/06/person/
今になって、しかもなう、6月公開で映画化してたのを知ったり。
何で今頃……。えらくタイムリーな話だなとおもいつつも、まあ昨今の日本の映画とか興味無いので見ることは無いんですけど。
でも、微妙に影響でるのが、図書館の蔵書。
ちょっと前にも、これも今頃かよっていう、森博嗣の「すべてがFになる」がドラマやらアニメ化されてたのですが、その少し前ぐらいから、このシリーズ(S&Mシリーズ)を順に読み進めてたんですよね。
その最中に映像化となって、それで、ほとんどが図書館の本棚ではなく、裏の書庫にあるような古いシリーズだったので、普通にいつでも借りれる状態だったのが、それが急に借りる人が増えて、予約まで入るようになってたりして。
返却の際にまだ読み終わってない奴はもう一度継続して借りる手続きをとれるのですが、予約が入ってる場合は当然、継続は出来なくなるんですよね。
それで、それまではなんども継続借りしながらゆっくり読んでたのが、今返しに行くと次の人の順番待ちで借りれなくなるってんで、慌ただしく読むハメになった感じになったりして。
んで話は戻って、昨日。ちょうど御手洗潔シリーズの続きにも手をつけようかと思ってたタイミングで映像化の話とか、なんかデジャヴ~。
実際、御手洗潔シリーズ借りようと目星をつけてた頃から、三作目まで読んでた頃までそれとなく目に入ってた貸し出し状況では、このシリーズ私しか借りてないぐらいの状況だったんですが、(1作目は1981年なのでもう30年前以上前の作品だし)昨日見たときは占星術殺人事件ほか数冊が貸し出し中になってたりして。
なんだかんだ言って、マスメディアの影響ておおきいんだなぁとか。
にしても、最近この手の話ふえたなぁ。ものすごく古い作品の映像化とか。
単にリバイバルブームとかいうんじゃなくて、最近の脚本家とかがろくな新作を書けないもんで、昔の名作と呼ばれる物を引っ張り出してきてるという、お粗末な状況のようにも思えるのですが、それは邪推というものですかね。
しかし……見る気もないのでアレなのですが、「すべてがFになる」のオチってどうなってるんですかね。これも相当古い作品で、なんせ作中の大学のワークステーションが16bitマシンとかですからね。
んでもって、ビット演算ネタとか、今風になんか変えてるのかな? それとも、そんな専門知識必要なネタじゃなくもっとわかりやすいネタとかになってるんですかね。その点だけちょっと気になる所だったりして。
んでも……20年とか30年前の作品を、その当時の時間軸でやってるのかな? 御手洗潔シリーズにしても。
現代風に焼き直すのは、携帯電話とかスマホとかあるしなぁ。
わりと、携帯電話普及してるだけで崩壊するトリックとかありそうだしw
スマホで検索とかそういったデジタルツールも考えると、現代ミステリーって結構昔以上に頭つかいそうだなーとかおもたり。いまどきスマホや携帯の使えない山奥とか、どんだけ山奥だよってレベルにしか存在しないだろうし。
なにげにここ数年、わりと「昔の名作のおすすめリスト」的なものを元に読んでるばかりで、現代物、最新のミステリーとかとんと読んでない事にも気づいたり。
携帯がまだ存在しない。携帯もったんだ! とか、携帯持ってる人のが珍しいみたいな時間軸の世界の作品ばかり読んでるぽw
ここ最近読んでるので、携帯とか出てくるの、今回も借りてる堂場舜一の本ぐらいだものな。この人のだけ毎度新しい新作見つけたら読んでると言う感じなので。
あとは警察の科学捜査も進歩してるので、30年前ぐらいの作品だと、コレ普通に鑑識とか監察医が見逃すわけ無いだろみたいな感想もっちゃうミステリーとか結構あるし。
リアリティ追求方向だと、ものすごく知識とか資料が必要で割に合わないジャンルになっちゃってそうだな。現代ミステリー。
わりと昔のは捜査が伸びて伸びて、迷宮入りってなところで名探偵参上みたいな感じのが一つのパターンですが、現代だと科学捜査が進みすぎてて、探偵が警察捜査に関わること自体がもはやファンタジーですよね。逆に犯人捜し以外の部分にスポット当てたりとか謎解きよりも犯人の心理分析メインとかのが多いんじゃないかな。でもそうなるとジャンルはミステリーではなくサスペンスになっちゃうか。
そうなると、ここ最近読んでるような、昔ながらのフォーマットの名作ミステリーのような物は、すでに現代物では成立しない感じなのだろうか。
昔の名作ばかりじゃなくて、現代のミステリーってのもたまには読まないとな……。
あとはちょっと気になって後で調べてみようと思ってた物が一つあって。
「首を振る」の使い方
ttp://kotobakai.seesaa.net/article/8238105.html
高橋克彦の「竜の柩」シリーズ読んでたときに、ちょいちょい「首を振った」という記述がでてくるのですが、それがみんな、肯定の意味で使われてるんですよね。
ただ、文脈的には肯定してると判るのと、否定の場合は「首を横に振った」と、書かれている。肯定の縦にの場合は省略される形です。
私的には単に「首を振った」とだけ書かれている場合は、首を横に振った=否定の意味のイメージだったりして。で、肯定の場合には、「縦に振った」とか普通に「頷いた」を使うかと。
辞書で調べると、「首を振る」には肯定も否定もどちらの表現も含むということで、何も為しに単に「首を振った」の場合はどちらの意味でも使える言葉のようですね。
高橋克彦の著書の中では少なくとも、肯定否定が同じ「首を振った」という表現で入り交じってることはなく、ただ「首を振った」と書かれている場合は常に肯定の場合に使われ、否定の時にはちゃんと「横に」とか追加されていたりと、ちゃんとした一貫性はあるのですが。
それでも、文脈的に肯定していると分かっていても「首を振った」という所を読むと、頭の中では登場人物たちが首を横に振ってる絵が頭に浮かんじゃうんですよね……。
竜の柩の作中、ちょっといい話てきな、演説っぽいことを主人公が言って仲間を説得し奮い立たせる。それに感銘を受けて他の仲間達が、一斉に「首を振った」って……ところがあるんですが。
文脈的には、みんな感銘を受けて、良しやるぞと頷いた。みたいなシーンなんですが、私の脳内には、みんなが一斉に「何を言ってるんだお前は。」と一斉に首を横に振る情景が浮かんでしまってww
なんか盛り上がるシーンの筈なのに台無しだよ……っていうところがいくつかあったり。
そんで、いやいや、コレは肯定だから。と自分で自分につっこんで修正する……というのを最後まで続けてたっけ……。わりと頻出するんですよね「首を振った」。
別に実際の語としての用法的には間違いと言うわけではないし、上のURLのなかにも書かれているように、作家さんの方言的なものなのかも知れないのですけど、すでに私の中では「首を振る」だけの場合は否定という刷り込みが出来上がっているで所為でか、ややこしい感じになっちゃってるぅw
上のURLのなかの他の作家の例で、一貫性無く縦と横が同じ表現で入り交じってるのは、かなりうっとうしいなコレは……。
前後の文脈でどっちかは大抵判断できるとはいえ、毎度どっちだと前後をみて確認するのかコレ。
というわけで、他にこの点で気になってる人が他にいることが分かって、よかった自分だけじゃ無かったんだと一安心したり。
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夏風邪は馬鹿がひくもの……
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じめじめ
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ひさびさに試運転
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時間の使い方を考える。
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14
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■
いまいち決定打に欠ける
15
■
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なんか変なスイッチはいった
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17
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[海の日]
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歴史的経緯いうやつか
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