堕天使の煉獄
2016-06
15
05:08:46
やっと読了
高橋和巳・著「邪宗門」ようやく読み終わる。
なんだかんだで半年以上掛かったなコレ……。
ものすごくちっちゃい文字で上下二段、300pの上下二巻。文字数で言えば普通のハードカバー6巻分ぐらいはあるのではなかろうか。
そんでもって中身は、読んでる最中に思惟にふける事も多く、ちっとも読み進まない。
概要的には、戦前に弾圧された、信徒100万を超える宗教団体が、その後、戦中、戦後の時代のなかでどのような運命を辿ったか。と言うようなお話。
この本の前情報としては、某巨大掲示板のまとめサイトみたいなところの「読んでおくべき本」みたいな感じのリストの中にあった一冊で、ちょっと調べてみると、とある実在の宗教団体がモデルとなっている。さらには全共闘時代の若者が必読の書の一つとして読みふけった本。……と言った物があったりして。
実際読み始めると、ほんとにこんな高邁な思想をもった宗教団体がいて、実際に活動していたのか。当時の人々、知識層とか呼ばれる人間はこんなにキチンと物を考えていたのだろうか……。どこかちょっと空々しい感じの印象をうけたのだけども。
その謎は読了後の著者の後書きを読んで氷解した。以下、後書きより引用
つまるところ、よくある「ユートピア論」的な書の一種なのだなと。
とある旅人が立ち寄ったり、遭難して迷い込んだりした場所が、ものすごく理想な国家で、その国家はこんな風だったよ。紹介する体なんてのが良くあるパターン。
ほかにも後書きのなかで
という一文もあるとおり、これは戦前、戦後の混乱期に、そのような精神性をもった集団がいたらどうなるのかという、思考実験だったのねと。
そこでようやく、妙に現実離れした感があったのも得心が。
現代の知識をもった人間または集団が、過去の、歴史の転換点に行ったらどうなるか。っていうジャンル(なにげに最近そんなかんじのラノベのタイトルよく見るような……読んだことはないけど)の作品なのかなと。
それならなるほど、あるいみ世直しを標榜する、全共闘時代の若者が読みふけったという触込みもわかる。
しかし、結局のところ、理想を突っ走ると結局……
「宗教とは死ぬこととみつけたり」
になるんだなぁ。その思想が高邁であればあるだけ。
作中のラスト、その事件を振り返るマスコミの記事の羅列という形での、総評部分のなかで、そのような顛末をむかえた類似の宗教団体の例が挙げられていたけど、その団体は聞いたこともなくて知らないのだけど(それも架空の団体だったのかな?)すぐに浮かぶのは、カタリ派、グノーシス思想が浮かんだり。
あれは、この世は偽の神が作った世界で、罪を犯さず死ぬことで魂を自由にして、この偽りの世界のくびきから逃れる(罪をおかしてると、また元の世界に拘束されて転生させられてしまう)事を目的として、子供を作ることも新たにこの世界に新しい人間を拘束してしまう事になるので禁止。殉教こそが一番推奨。てな感じのががカタリ派。
カタリ派は当時の教会の腐敗などで、神の代理人の名乗る集団が、あんだけ俗物の悪魔的集団だってことは、この世は悪魔に支配されてる=この世は地獄。という極端に走った感じで、早くこの世界から抜け出さねばというのを理想としてるわけで。
結局は、最後のプライドによる、「敗北主義」に陥るのか。いかに死ぬか、その死に様をアピールすることが目的になっちゃう的な。この辺全共闘なんかのかつての共産主義者も同じか。
ユートピア論的には、作中の教団は教祖の世襲制を禁止していると言うのがある。
教祖様は世襲しない。
これは感情でなく理性的であるなとはおもうんだけど、なにげに作中でも教祖の家族はなんだかんだ行って、結構良い暮らししてたり、娘の一人はわりと尊大な態度をとっていたり(もう一人は周りの人が何もかもやってくれているのでいざそれらの人がいなくなると、とたんに何も出来ない無力な存在になるという対比がある)いくら理性的に、悪習を排しようと思っても、感情的な物、親子の情とかそういった物は断ち切れる物ではないんだよなと。
いくら世襲制がどう考えても悪習だと、歴史もさんざん証明していることではあるけど、親子の情とか、血のつながり、家族意識ってのはそうそう理性で切り捨てられる物ではないし、いちど手に入れた権力を他人に譲り渡すということも、なかなか出来る物ではないのだろうけど。
その辺で、ユートピア論として、理性、知性と、人の感情とのせめぎ合いが焦点となっているのだろうか。
んでも思うのは、高邁な理想を実現するには、人間は存在として邪悪すぎるという事。
まあ、邪悪といっても、どの位置に立つかで変わってしまう「悪」という概念の的に、何が悪かというところでアレだけど。
基本的に、真の共産主義を実現しようと思ったならば、人間の脳みそ改造して、欲望や様々な欲求を持たず、苦痛も感じない存在にしてしまえば解決するわけで。
近いのは蜂やアリの社会ですね。
それらの個々の欲望とか欲求ってのは悪かと言えば、生物学的にみれば、それらは理由のある行動原理で、利己的な遺伝子に命令された、おのおの利己的な理由により抱えている欲求であり、そもそも生き物は外界の物質を取り込み循環させていることで生物たり得ているのであるから、欲望の否定は生きることの否定に他ならないとおもふ。
作中のなかでも、動植物の殺生をしなければ生きられない生そのものを不浄として、餓死するのを至上とする、というような精神活動? が見られるシーンがあるのだけども。
作中総括部分にある、教団をアナクロニズムと憐愍する論調のマスコミ。という表現があるのだけども。
なんか絶食しただけで、汚れのない精神性を確立できると思うのは、きわめてアナクロだなぁと。
なんかその時点で宗教ってものの底が見えた気がする思いです。
突き詰めると、世界の否定、人間という物の存在への否定、生きることの否定……と行き着いていくのかねぇ。
結局無知蒙昧な、なんだかわからないもの、形而上のものに対する畏れ。そういったものへのストレスから生まれた精神活動でしかないんだなぁと。
てかふと思ったんですが……動植物を口にするのを殺生、不浄だとするなら……母乳ならおkなのではとかw
誰も殺してないし、科学的には人の血を飲んでる様なモンではあるけど、イメージ的には、もともと(乳児への)飲み物として出されてるものなので、罪悪感は入り込む余地はないだろう。
でもいい歳こいたおっさんが、動植物を摂取するのは不浄ですといい、主食は母乳ですっていって、ぷくぷく太ってたらなんか笑えるけどw
てかそれなら普通に牛乳と動物の乳もおkな理屈のような。
殺生もしてないし、もともと他者に与えるために出てくる物なわけだし。
そいやジャングルの王者ターちゃんでも、ターちゃん一家は肉は食べない筈なのに筋骨隆々だったり太ってたりするのはオカシイ。隠れてきっと肉を食べてるんだ! と疑った弟子のペドロ。っていう話あったな。
オチは牛乳ごくごく飲んでるってのだったけどw
まあ、あんまその界隈詳しくないのでアレ何ですが、ベジタリアンの中でも、乳製品はおk、卵はおkとかいろいろ派閥がある様なので。
アレは食いたくない、とかいう主義は個人の勝手なのでアレですけど。
殺生基準で考えたら、牛乳、乳製品はありかなーと。卵は産まれる前を生命と定義するのか辺りで揉めるらしいですね。人間のクローンとかでも、卵細胞は生命か、どこまでの胚のステージを見て生命の発生とするのかとか。そういうのもあるらしいですしね。(そこに魂はいつから存在・宿るのかとか言い出すとカオスw)
まあ、目に見えない微生物まで考えたら、不殺生なんて不可能ですけどね。大きさで規定するならその境界は誰が決めるのかとか。その辺で不殺生とかアナクロだなーと思う訳ですよ。基準は結局嫌悪感あるかどうかっていう個々人の曖昧な認識に任されることになるんだろうし。
まあ、人として生きてること自体を否定するところまで行っちゃったらどうにもならんだろうけどね。人として自分が存在すること自体にたえられなくなっちゃうんだろうね。
カフカの「変身」も似たような感じなのかな。自分が化け物であることに気づいてしまった的な。
にしても笑えるのが、そのマスコミの目からの総評の部分にキリスト教の人間の弁がでてくるんだけど、酷く場違いで笑える。
神の権威の元に生きてこそ、その幸せも発展もあるとかw
それこそ時代錯誤も良いところ、超アナクロ。でもそれを未だに押し通すのは武力と権力の裏付け、超武闘派キチガイ詐欺師集団だものなぁ。おっかねぇ。宗教おっかねぇ。
細かいところでは、選挙による代議制なんかは、職業的ほら吹きや、偶然の功労者なんかが跳梁する危険性みたいなのもふれられてたりして。
いまの日本の政治の世界はほんとそればっかだよな。一過性の人気で選ばれる総理や都知事。職業的ほら吹き集団の野党。とても民主主義も良い物ではないですね。
んでも、原始的な宗教、原初の人間の情なんかをかんがえた理想的な社会……マスターキートンなんかでもでてくる、大昔の女系支配の集団を理想としてるところなんかも似てるかな。初代教祖は女性で、女性的な感情がおおく教義に含まれているところで。
女性は家族単位的な考えで、守ろうとするけど、男は今以上を欲して身の回りの安全を確保したら侵略に打って出る……みたいな感じで、女性的な社会と男性的な社会、おのおのを考察するするようなものもなんかで読んだっけな。
基本、もともとの性格、性別的な役割からして、考え方が根本的に違う生き物だからなぁ。男と女は。んでも、女性的な社会が男性的な社会よりも優れているとかいうのは、一概にはいえないところだけど、そういうのが良しとする風潮はある様におもえる。理想論的にだけど。
あとは、戦前、戦中、戦後の日本の近代史を学ぶにも良い本だなーとか。基本、そこに住むひとの目線で描かれているので。当時の人々はどう思っていたのか、どの程度の情報があったのか。どんな状況だったのか。兵隊にいった教団員目線の戦争観、満州に教団として疎開した人達の末路。
宗教団体を題材にしている故、精神性の面からの近代史という側面もあり、確かにこれは、読んでおくべき一冊に加えられるにふさわしい一冊とおもえたり。
あとは、筑豊の炭坑の労働者の話とかでてくるんだけど、蟹工船的な、プロレタリアートな作品の匂いも。その辺も全共闘時代に良く読まれたという背景が見えてくる。というかその時代だからこそ本書は生まれた本なんだなーと言う
気も。
てか筑豊といえば、昔、初期のころの伊集院光の深夜の馬鹿力のCMで、スポンサーが無い時には局の演歌のCMが流れたりするんだけど、「筑豊の子守歌」ってのがしょっちゅう流れてて、なんか変に記憶に焼き付いてる……。
んでも、なんとなく蟹工船的なプロレタリアートの悲哀的な歌なのかな、それにしてはけっこうさわやかな音楽なだと思っていたのだけど。
ググってみたら普通に郷土愛的な歌なのね。
カンナ一つに命をかける的な宮大工の歌も同じようにCMで流れてて、そっちの方は重苦しい感じで、そっちといろいろ混じってるのかもw
とにかく、長かった。
読むのにこんなに時間が掛かった本は初めてかも。
でも面白かった。
、
なんだかんだで半年以上掛かったなコレ……。
ものすごくちっちゃい文字で上下二段、300pの上下二巻。文字数で言えば普通のハードカバー6巻分ぐらいはあるのではなかろうか。
そんでもって中身は、読んでる最中に思惟にふける事も多く、ちっとも読み進まない。
概要的には、戦前に弾圧された、信徒100万を超える宗教団体が、その後、戦中、戦後の時代のなかでどのような運命を辿ったか。と言うようなお話。
この本の前情報としては、某巨大掲示板のまとめサイトみたいなところの「読んでおくべき本」みたいな感じのリストの中にあった一冊で、ちょっと調べてみると、とある実在の宗教団体がモデルとなっている。さらには全共闘時代の若者が必読の書の一つとして読みふけった本。……と言った物があったりして。
実際読み始めると、ほんとにこんな高邁な思想をもった宗教団体がいて、実際に活動していたのか。当時の人々、知識層とか呼ばれる人間はこんなにキチンと物を考えていたのだろうか……。どこかちょっと空々しい感じの印象をうけたのだけども。
その謎は読了後の著者の後書きを読んで氷解した。以下、後書きより引用
ここに描かれた教団の教義・戒律・組織・運動のあり方はもちろん、登場人物とその運命のすべては、長年温め育て、架空なるゆえに自己自身とは切り離し得ぬものとして思い描いた、我が<邪宗>のすがたであって、現存のいかなる教義・教団とも無縁であることを、自負を持って断っておきたい。
つまるところ、よくある「ユートピア論」的な書の一種なのだなと。
とある旅人が立ち寄ったり、遭難して迷い込んだりした場所が、ものすごく理想な国家で、その国家はこんな風だったよ。紹介する体なんてのが良くあるパターン。
ほかにも後書きのなかで
すべての宗教がその登場のはじめに色濃く持っている<世なおし>の思想を、教団の膨張にともなう様々の妥協を排して極限化すればどうなるかを、思考実験してみたいということにあった。
という一文もあるとおり、これは戦前、戦後の混乱期に、そのような精神性をもった集団がいたらどうなるのかという、思考実験だったのねと。
そこでようやく、妙に現実離れした感があったのも得心が。
現代の知識をもった人間または集団が、過去の、歴史の転換点に行ったらどうなるか。っていうジャンル(なにげに最近そんなかんじのラノベのタイトルよく見るような……読んだことはないけど)の作品なのかなと。
それならなるほど、あるいみ世直しを標榜する、全共闘時代の若者が読みふけったという触込みもわかる。
しかし、結局のところ、理想を突っ走ると結局……
「宗教とは死ぬこととみつけたり」
になるんだなぁ。その思想が高邁であればあるだけ。
作中のラスト、その事件を振り返るマスコミの記事の羅列という形での、総評部分のなかで、そのような顛末をむかえた類似の宗教団体の例が挙げられていたけど、その団体は聞いたこともなくて知らないのだけど(それも架空の団体だったのかな?)すぐに浮かぶのは、カタリ派、グノーシス思想が浮かんだり。
あれは、この世は偽の神が作った世界で、罪を犯さず死ぬことで魂を自由にして、この偽りの世界のくびきから逃れる(罪をおかしてると、また元の世界に拘束されて転生させられてしまう)事を目的として、子供を作ることも新たにこの世界に新しい人間を拘束してしまう事になるので禁止。殉教こそが一番推奨。てな感じのががカタリ派。
カタリ派は当時の教会の腐敗などで、神の代理人の名乗る集団が、あんだけ俗物の悪魔的集団だってことは、この世は悪魔に支配されてる=この世は地獄。という極端に走った感じで、早くこの世界から抜け出さねばというのを理想としてるわけで。
結局は、最後のプライドによる、「敗北主義」に陥るのか。いかに死ぬか、その死に様をアピールすることが目的になっちゃう的な。この辺全共闘なんかのかつての共産主義者も同じか。
ユートピア論的には、作中の教団は教祖の世襲制を禁止していると言うのがある。
教祖様は世襲しない。
これは感情でなく理性的であるなとはおもうんだけど、なにげに作中でも教祖の家族はなんだかんだ行って、結構良い暮らししてたり、娘の一人はわりと尊大な態度をとっていたり(もう一人は周りの人が何もかもやってくれているのでいざそれらの人がいなくなると、とたんに何も出来ない無力な存在になるという対比がある)いくら理性的に、悪習を排しようと思っても、感情的な物、親子の情とかそういった物は断ち切れる物ではないんだよなと。
いくら世襲制がどう考えても悪習だと、歴史もさんざん証明していることではあるけど、親子の情とか、血のつながり、家族意識ってのはそうそう理性で切り捨てられる物ではないし、いちど手に入れた権力を他人に譲り渡すということも、なかなか出来る物ではないのだろうけど。
その辺で、ユートピア論として、理性、知性と、人の感情とのせめぎ合いが焦点となっているのだろうか。
んでも思うのは、高邁な理想を実現するには、人間は存在として邪悪すぎるという事。
まあ、邪悪といっても、どの位置に立つかで変わってしまう「悪」という概念の的に、何が悪かというところでアレだけど。
基本的に、真の共産主義を実現しようと思ったならば、人間の脳みそ改造して、欲望や様々な欲求を持たず、苦痛も感じない存在にしてしまえば解決するわけで。
近いのは蜂やアリの社会ですね。
それらの個々の欲望とか欲求ってのは悪かと言えば、生物学的にみれば、それらは理由のある行動原理で、利己的な遺伝子に命令された、おのおの利己的な理由により抱えている欲求であり、そもそも生き物は外界の物質を取り込み循環させていることで生物たり得ているのであるから、欲望の否定は生きることの否定に他ならないとおもふ。
作中のなかでも、動植物の殺生をしなければ生きられない生そのものを不浄として、餓死するのを至上とする、というような精神活動? が見られるシーンがあるのだけども。
作中総括部分にある、教団をアナクロニズムと憐愍する論調のマスコミ。という表現があるのだけども。
なんか絶食しただけで、汚れのない精神性を確立できると思うのは、きわめてアナクロだなぁと。
なんかその時点で宗教ってものの底が見えた気がする思いです。
突き詰めると、世界の否定、人間という物の存在への否定、生きることの否定……と行き着いていくのかねぇ。
結局無知蒙昧な、なんだかわからないもの、形而上のものに対する畏れ。そういったものへのストレスから生まれた精神活動でしかないんだなぁと。
てかふと思ったんですが……動植物を口にするのを殺生、不浄だとするなら……母乳ならおkなのではとかw
誰も殺してないし、科学的には人の血を飲んでる様なモンではあるけど、イメージ的には、もともと(乳児への)飲み物として出されてるものなので、罪悪感は入り込む余地はないだろう。
でもいい歳こいたおっさんが、動植物を摂取するのは不浄ですといい、主食は母乳ですっていって、ぷくぷく太ってたらなんか笑えるけどw
てかそれなら普通に牛乳と動物の乳もおkな理屈のような。
殺生もしてないし、もともと他者に与えるために出てくる物なわけだし。
そいやジャングルの王者ターちゃんでも、ターちゃん一家は肉は食べない筈なのに筋骨隆々だったり太ってたりするのはオカシイ。隠れてきっと肉を食べてるんだ! と疑った弟子のペドロ。っていう話あったな。
オチは牛乳ごくごく飲んでるってのだったけどw
まあ、あんまその界隈詳しくないのでアレ何ですが、ベジタリアンの中でも、乳製品はおk、卵はおkとかいろいろ派閥がある様なので。
アレは食いたくない、とかいう主義は個人の勝手なのでアレですけど。
殺生基準で考えたら、牛乳、乳製品はありかなーと。卵は産まれる前を生命と定義するのか辺りで揉めるらしいですね。人間のクローンとかでも、卵細胞は生命か、どこまでの胚のステージを見て生命の発生とするのかとか。そういうのもあるらしいですしね。(そこに魂はいつから存在・宿るのかとか言い出すとカオスw)
まあ、目に見えない微生物まで考えたら、不殺生なんて不可能ですけどね。大きさで規定するならその境界は誰が決めるのかとか。その辺で不殺生とかアナクロだなーと思う訳ですよ。基準は結局嫌悪感あるかどうかっていう個々人の曖昧な認識に任されることになるんだろうし。
まあ、人として生きてること自体を否定するところまで行っちゃったらどうにもならんだろうけどね。人として自分が存在すること自体にたえられなくなっちゃうんだろうね。
カフカの「変身」も似たような感じなのかな。自分が化け物であることに気づいてしまった的な。
にしても笑えるのが、そのマスコミの目からの総評の部分にキリスト教の人間の弁がでてくるんだけど、酷く場違いで笑える。
神の権威の元に生きてこそ、その幸せも発展もあるとかw
それこそ時代錯誤も良いところ、超アナクロ。でもそれを未だに押し通すのは武力と権力の裏付け、超武闘派キチガイ詐欺師集団だものなぁ。おっかねぇ。宗教おっかねぇ。
細かいところでは、選挙による代議制なんかは、職業的ほら吹きや、偶然の功労者なんかが跳梁する危険性みたいなのもふれられてたりして。
いまの日本の政治の世界はほんとそればっかだよな。一過性の人気で選ばれる総理や都知事。職業的ほら吹き集団の野党。とても民主主義も良い物ではないですね。
んでも、原始的な宗教、原初の人間の情なんかをかんがえた理想的な社会……マスターキートンなんかでもでてくる、大昔の女系支配の集団を理想としてるところなんかも似てるかな。初代教祖は女性で、女性的な感情がおおく教義に含まれているところで。
女性は家族単位的な考えで、守ろうとするけど、男は今以上を欲して身の回りの安全を確保したら侵略に打って出る……みたいな感じで、女性的な社会と男性的な社会、おのおのを考察するするようなものもなんかで読んだっけな。
基本、もともとの性格、性別的な役割からして、考え方が根本的に違う生き物だからなぁ。男と女は。んでも、女性的な社会が男性的な社会よりも優れているとかいうのは、一概にはいえないところだけど、そういうのが良しとする風潮はある様におもえる。理想論的にだけど。
あとは、戦前、戦中、戦後の日本の近代史を学ぶにも良い本だなーとか。基本、そこに住むひとの目線で描かれているので。当時の人々はどう思っていたのか、どの程度の情報があったのか。どんな状況だったのか。兵隊にいった教団員目線の戦争観、満州に教団として疎開した人達の末路。
宗教団体を題材にしている故、精神性の面からの近代史という側面もあり、確かにこれは、読んでおくべき一冊に加えられるにふさわしい一冊とおもえたり。
あとは、筑豊の炭坑の労働者の話とかでてくるんだけど、蟹工船的な、プロレタリアートな作品の匂いも。その辺も全共闘時代に良く読まれたという背景が見えてくる。というかその時代だからこそ本書は生まれた本なんだなーと言う
気も。
てか筑豊といえば、昔、初期のころの伊集院光の深夜の馬鹿力のCMで、スポンサーが無い時には局の演歌のCMが流れたりするんだけど、「筑豊の子守歌」ってのがしょっちゅう流れてて、なんか変に記憶に焼き付いてる……。
んでも、なんとなく蟹工船的なプロレタリアートの悲哀的な歌なのかな、それにしてはけっこうさわやかな音楽なだと思っていたのだけど。
ググってみたら普通に郷土愛的な歌なのね。
カンナ一つに命をかける的な宮大工の歌も同じようにCMで流れてて、そっちの方は重苦しい感じで、そっちといろいろ混じってるのかもw
とにかく、長かった。
読むのにこんなに時間が掛かった本は初めてかも。
でも面白かった。
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Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
01
02
■
■
腕がぷるぷる
03
04
05
06
■
■
形からの
07
■
■
突然死
08
■
■
思ったより早いのと遅いの
09
10
■
■
素材がない
11
■
■
やっぱ問題ありぽ
12
■
■
そんな気にする物でもなさげ?
13
14
■
■
やはり殿下
15
■
■
やっと読了
16
17
■
■
いろいろ環境みなおし
18
■
■
やっぱりだめか…
19
■
■
やったー出来たー
20
■
■
少しずつだけど
21
22
23
24
■
■
いろいろ細々と
25
26
■
■
さらに細々と
27
28
29
■
■
ムー
30
■
■
環境整備
total:2076801 t:313 y:396
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堕天使の煉獄
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織田霧さくら(oda-x)
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