堕天使の煉獄
2016-01
09
05:45:56
寒さが身にしみるぅ
なんだろう、20kgぐらい痩せた所為なのか、冬がつらい。脂肪という名の防寒着が薄っぺらくなった所為なのだろうか。それとも最近めっきり小食になったのでカロリー摂取量が足りてないのかな。
布団の中に入っていても、全然温くならない。熱量が足りないぽ……?
ということで、毛布をもう一枚布団の上に乗せる。すると多少マシになったっぽい。でも足先がなんか冷たくて、電気カーペットの座布団版みたいなやつを湯たんぽ代わりに足下にいれて、ようやく人心地ってかんじな最近。
そんな最中、年始がらみで図書館が休みの期間ができるため、いつもは貸出期間は2週間なのだけども、今回はその期間が結構長めにとられることになるんだけども。
そろそろ溜まってるの読まないとな。ということで、少し暖かさをました布団の中で読書をもりもりすることに。
「サド侯爵 新たなる肖像」
マルキドサドの研究本? ですね。
マルキドサド研究といえば、澁澤龍彦が一番に浮かぶのですが(実際、翻訳物はみんなこの人のをよんでたりする)図書館の新書のコーナーで見かけて、思わず手に取ってみたかんじで。
そこで新たな知見としては、サドの書くお話は、為政者とか、法律を作る側、すべてを支配する側。その人が白といえば黒い物も白になるような立場の人達と、そういう人達にただただ浪費されるだけの人々(命さえも)という、二分された絶対的な格差というか、精神や考え方の隔絶された社会構造というものが、背景にあるのだなと。
とくにジュリエットとジュスティーヌの、悪徳の栄えと美徳の不幸という姉妹の物語は、なるほど、その二つの世界を比較して描かれていたのだなとおもうと、納得させられるかんじぽ。
それが時期的にフランス革命の直前、放蕩の限りを尽くした貴族を、ぶち切れた市民が蜂起するような時期に書かれているという、作品の時代背景と考えると、なるほどと思える背景がみえてきたり。
貴族階級の秘められたお遊び、人の命さえ浪費する放蕩を、それは共犯者的な了解のなかで、支配者階級の世界の中では普遍的に行われていたことを、文学作品として一般化したことで市民にも知れ渡り、それも革命の一端にもなった、もしくはそうなる事を目論んでかかれた、告発文書的な意味合いもあったのだろうかとも。
でもサド自身も貴族階級として放蕩の限りを尽くし、牢獄に入れられる事になってることから、なんというか、自分は獄について放蕩出来ないのに、おまえらは変わらず放蕩三昧かという妬みとか、すべてぶちこわしてやるというような感情もあったのではないかと言う気もするw
しかし、なんだかんだ行って、サドの魅力は、悪の哲学とも言うべきもので、きれい事などでゆがめられた現行の法律や思想などをあざ笑う爽快さ、というところがあると思う。
これは本文中にある、クラフト=エビングという、性倒錯研究家の一文。(ちなみに、サディズムとかマゾヒズム、さらには日本に「変態」という語を流行らせた人である)
何とも封建的というか、田嶋陽子がぶち切れそうな、女性はこうあるべきという男性社会主観のばかげた考えですね。(まあ時代背景とかもあるんだろうけど)
そこにあるのは、性善説み根ざしている理想論のようなものがあり、そこに多分に個人の感情(男性優位の社会構造)なんかも含まれている感じですね。
性の倒錯を研究しているというけど、サドの事は精神病とかの精神疾患の患者的な受け取り方のようですね。
サドの思想は、そういった性善説などという幻想など微塵もなく、むしろ性悪説的ではある物の、先に述べた、支配者階級とそうでない浪費されるだけの被支配者階級のあいだにある、支配者にとって浪費することは善であり、浪費される側にとってはただ苦痛や恐怖を味わうだけだから悪という、同じ事象に対して、反対の善悪が存在する。すなわち、性善説や性悪説なんて全く無意味な物だという、哲学的なお話だとうけとれるのですが、いまだにそういう面よりも、後世の人にサドの思想はだだ猥雑なもの、という印象を植え付けたのはこの人の影響でしょう。
この本を読んで、ますます、サドの著作の数々は、性的倒錯とは無縁の、人間と社会を考察する哲学的なテクストなのだという思いを強くしたり。
そして本書の中でこのクラフト=エビングの言葉から、以下のラカンが述べた言葉につながる。
この最後のところの、専門家の~の下りは大変に良くあることですよね。
なんとかの専門家いわく~なんてよくTVでコメントがでたりするのですが、大抵は間違ってる、もしくはあからさまにその問題に関して無知な場合がおおい。
専門家ってやつは、もともとどっかずれてるんですよねw
世間一般の認識という奴と。
そんな感じで、サドの著書がまた読みたくなってきた最近。
ソドム百二十日の完成版はどこかに存在しているのだろうか……。
でも未完の段階で、想像力の限界に達しているという印象を持ったのだけど、そのように評価している人が他にも居るようで、やはり際限のない欲望、経過時間にあわせてどこまでもエスカレートしていく……というのは、言うは易し、実際にはあっという間に限界に達してしまうんだろうなぁ。殺して死体まで弄んで……うんこぱくぱーくとかもして、さらにその先は? というとなぁ。飽きこそが放蕩者の敵といいつつ、サドも飽きちゃったんだろうなというしり切れトンボな印象なんですよね。ソドム百二十日のラストらへんて。完全版あったとしても、今以上に盛り上がることは無いだろうし、それが目的の本でも無いしなぁ。
あと積んでるのは……
高橋克己「邪宗門」
もう半年ぐらい借りっぱなし……。(ちゃんと更新して延長貸し出し手続きはしてるです)
とにかく字が多い。一ページにちまっこい字でびっしりあり、さらには哲学書のような内容が続くので、大変に読むのに時間が掛かる。そしてそれが面白いのでついついじっくり考えながら読んでしまう。
その所為で未だに上下巻の上巻のようやく半分ぐらいで止まってる……。
そろそろ気合い入れて読んじゃわないとなぁ。
んでなにげに、刃牙の宮本武蔵編のなかで出てきた、昔の合気術の達人の話で、大本事件という宗教弾圧事件というのが出てくるのですが、この弾圧された宗教団体というのが邪宗門のなかででてくる弾圧された宗教団体「ひのもと救霊会」のモデルになった教団なんですよね。
まだ作中では教団の外堀をうめて揺さぶりをかけられている段階ぐらいなので、この先どうなるのか、というところで、なにげにタイムリーな話であったので、この機に読んでしまいたいところ。
ていうかこれ読み終わらないと、なかなか他の作品に手を出しづらいんですよね。
いつまでも手元にのこっちゃうので。
高橋克彦「竜の棺」も次に控えてるんですが、邪宗門をとりあえずはやく読んでしまいたいところ。竜の棺はなんか、宮下文献とか、古代日本のトンデモ史観みたいな感じの話らしく、かつて「ムー」読者だったおいらにはワクテカですw
布団の中に入っていても、全然温くならない。熱量が足りないぽ……?
ということで、毛布をもう一枚布団の上に乗せる。すると多少マシになったっぽい。でも足先がなんか冷たくて、電気カーペットの座布団版みたいなやつを湯たんぽ代わりに足下にいれて、ようやく人心地ってかんじな最近。
そんな最中、年始がらみで図書館が休みの期間ができるため、いつもは貸出期間は2週間なのだけども、今回はその期間が結構長めにとられることになるんだけども。
そろそろ溜まってるの読まないとな。ということで、少し暖かさをました布団の中で読書をもりもりすることに。
「サド侯爵 新たなる肖像」
マルキドサドの研究本? ですね。
マルキドサド研究といえば、澁澤龍彦が一番に浮かぶのですが(実際、翻訳物はみんなこの人のをよんでたりする)図書館の新書のコーナーで見かけて、思わず手に取ってみたかんじで。
そこで新たな知見としては、サドの書くお話は、為政者とか、法律を作る側、すべてを支配する側。その人が白といえば黒い物も白になるような立場の人達と、そういう人達にただただ浪費されるだけの人々(命さえも)という、二分された絶対的な格差というか、精神や考え方の隔絶された社会構造というものが、背景にあるのだなと。
とくにジュリエットとジュスティーヌの、悪徳の栄えと美徳の不幸という姉妹の物語は、なるほど、その二つの世界を比較して描かれていたのだなとおもうと、納得させられるかんじぽ。
それが時期的にフランス革命の直前、放蕩の限りを尽くした貴族を、ぶち切れた市民が蜂起するような時期に書かれているという、作品の時代背景と考えると、なるほどと思える背景がみえてきたり。
貴族階級の秘められたお遊び、人の命さえ浪費する放蕩を、それは共犯者的な了解のなかで、支配者階級の世界の中では普遍的に行われていたことを、文学作品として一般化したことで市民にも知れ渡り、それも革命の一端にもなった、もしくはそうなる事を目論んでかかれた、告発文書的な意味合いもあったのだろうかとも。
でもサド自身も貴族階級として放蕩の限りを尽くし、牢獄に入れられる事になってることから、なんというか、自分は獄について放蕩出来ないのに、おまえらは変わらず放蕩三昧かという妬みとか、すべてぶちこわしてやるというような感情もあったのではないかと言う気もするw
しかし、なんだかんだ行って、サドの魅力は、悪の哲学とも言うべきもので、きれい事などでゆがめられた現行の法律や思想などをあざ笑う爽快さ、というところがあると思う。
これは本文中にある、クラフト=エビングという、性倒錯研究家の一文。(ちなみに、サディズムとかマゾヒズム、さらには日本に「変態」という語を流行らせた人である)
「女性の精神が正常に発育するならば、そして女性の育ちが良ければ、その女性の性的欲求は強くならない。もしそうでなかったならば、全世界は結婚や家族などの成り立たない巨大な淫売宿と化してしまうであろう」
何とも封建的というか、田嶋陽子がぶち切れそうな、女性はこうあるべきという男性社会主観のばかげた考えですね。(まあ時代背景とかもあるんだろうけど)
そこにあるのは、性善説み根ざしている理想論のようなものがあり、そこに多分に個人の感情(男性優位の社会構造)なんかも含まれている感じですね。
性の倒錯を研究しているというけど、サドの事は精神病とかの精神疾患の患者的な受け取り方のようですね。
サドの思想は、そういった性善説などという幻想など微塵もなく、むしろ性悪説的ではある物の、先に述べた、支配者階級とそうでない浪費されるだけの被支配者階級のあいだにある、支配者にとって浪費することは善であり、浪費される側にとってはただ苦痛や恐怖を味わうだけだから悪という、同じ事象に対して、反対の善悪が存在する。すなわち、性善説や性悪説なんて全く無意味な物だという、哲学的なお話だとうけとれるのですが、いまだにそういう面よりも、後世の人にサドの思想はだだ猥雑なもの、という印象を植え付けたのはこの人の影響でしょう。
この本を読んで、ますます、サドの著作の数々は、性的倒錯とは無縁の、人間と社会を考察する哲学的なテクストなのだという思いを強くしたり。
そして本書の中でこのクラフト=エビングの言葉から、以下のラカンが述べた言葉につながる。
「サドの著作が、たとえ倒錯の一覧に関してであれ、フロイトを先取りしているというのは愚かなことではあるが、文学においては繰り返し語られており、そうした誤りはいつも専門家のせいなのだ」
この最後のところの、専門家の~の下りは大変に良くあることですよね。
なんとかの専門家いわく~なんてよくTVでコメントがでたりするのですが、大抵は間違ってる、もしくはあからさまにその問題に関して無知な場合がおおい。
専門家ってやつは、もともとどっかずれてるんですよねw
世間一般の認識という奴と。
そんな感じで、サドの著書がまた読みたくなってきた最近。
ソドム百二十日の完成版はどこかに存在しているのだろうか……。
でも未完の段階で、想像力の限界に達しているという印象を持ったのだけど、そのように評価している人が他にも居るようで、やはり際限のない欲望、経過時間にあわせてどこまでもエスカレートしていく……というのは、言うは易し、実際にはあっという間に限界に達してしまうんだろうなぁ。殺して死体まで弄んで……うんこぱくぱーくとかもして、さらにその先は? というとなぁ。飽きこそが放蕩者の敵といいつつ、サドも飽きちゃったんだろうなというしり切れトンボな印象なんですよね。ソドム百二十日のラストらへんて。完全版あったとしても、今以上に盛り上がることは無いだろうし、それが目的の本でも無いしなぁ。
あと積んでるのは……
高橋克己「邪宗門」
もう半年ぐらい借りっぱなし……。(ちゃんと更新して延長貸し出し手続きはしてるです)
とにかく字が多い。一ページにちまっこい字でびっしりあり、さらには哲学書のような内容が続くので、大変に読むのに時間が掛かる。そしてそれが面白いのでついついじっくり考えながら読んでしまう。
その所為で未だに上下巻の上巻のようやく半分ぐらいで止まってる……。
そろそろ気合い入れて読んじゃわないとなぁ。
んでなにげに、刃牙の宮本武蔵編のなかで出てきた、昔の合気術の達人の話で、大本事件という宗教弾圧事件というのが出てくるのですが、この弾圧された宗教団体というのが邪宗門のなかででてくる弾圧された宗教団体「ひのもと救霊会」のモデルになった教団なんですよね。
まだ作中では教団の外堀をうめて揺さぶりをかけられている段階ぐらいなので、この先どうなるのか、というところで、なにげにタイムリーな話であったので、この機に読んでしまいたいところ。
ていうかこれ読み終わらないと、なかなか他の作品に手を出しづらいんですよね。
いつまでも手元にのこっちゃうので。
高橋克彦「竜の棺」も次に控えてるんですが、邪宗門をとりあえずはやく読んでしまいたいところ。竜の棺はなんか、宮下文献とか、古代日本のトンデモ史観みたいな感じの話らしく、かつて「ムー」読者だったおいらにはワクテカですw
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寒さが身にしみるぅ
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微妙にしんくろにしてぃ
[成人の日]
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